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モンテーニュ随想録
モンテーニュずいそうろく |
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作品ID | 59469 |
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副題 | 05 随想録 第一巻 05 ずいそうろく だいいっかん |
著者 | モンテーニュ ミシェル・エケム・ド Ⓦ |
翻訳者 | 関根 秀雄 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「モンテーニュ随想録」 国書刊行会 2014(平成26)年2月28日 |
入力者 | 戸部松実 |
校正者 | 大久保ゆう、Juki、雪森、富田晶子 |
公開 / 更新 | 2019-07-27 / 2019-07-16 |
長さの目安 | 約 750 ページ(500字/頁で計算) |
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第一章 人さまざまの方法によって同じ結果に達すること
このエッセーは開巻第一に置かれているけれども、それは決して最初期に属するからではない。むしろ「人間というものは変化してやまないものだ」という意見が述べられているからであろう。こういう人間観は、すべての時期を通じてモンテーニュのいだいた主要な思想の一つであって、第二巻の第三十七章、すなわち一五八〇年版『随想録』の最終章にも述べられていること、また第二巻第一章も同じ思想で充満していること、を思いあわせるべきである。モンテーニュは『随想録』中の各章を特別の方針によらずに漫然とたばねたもの、すなわち[#挿絵]fagotage[#挿絵]だと言っているけれども、全三巻を注意して読んで見ると、案外各エッセーの排列には著者の細かい考慮が払われているように思う。この点については第一巻第二十八章冒頭のパラグラフはきわめて暗示的である。同章の解説と註を参照せられたい。そこで、『随想録』全体が一貫した一つの目的のために書かれていることがいっそうよく理解される。
(a)かねて我々に怨みをいだいていた者どもが、こんどこそ復讐の思いをとげようと我々を完全に手のうちに握った時、彼らの心を和らげる一番普通の方法は、降参して彼らの憐れみや同情に訴えることである。けれども反抗や勇気も、それとは全く反対の方法だが、時に同様の結果をもたらした。
ウェールズ公エドワードは、長いことわがギュイエンヌ州を統治された天性きわめて高邁なお方*であったが、かねてリモージュ人に対してきわめて深い遺恨をもっておられたので、彼らの都市を攻めとられたときは、いくら人民が泣き叫んでも、屠所にひいてゆかれる老幼婦女がこもごも彼の足下にひれ伏してお慈悲を叫んでも、ひた押しにおして市中に侵入せられたのであったが、ふとそこにただ三人のフランスの貴族が、信じられない程の大胆さで、彼の勝ちほこった大軍をささえているのにおん眼をとめられた。そしてその顕著な武勇の程に深く感心あそばされて、始めて憤怒のほこさきを和らげられ、その三人をはじめとして市民全体をおゆるしになった。
* 英王エドワード三世の子、黒太子と呼ばれた人。モンテーニュはこの話をフロワッサールの中で読んだのであろう。
エペイロスの王スカンデルベルグが、部下の一兵士を亡きものにしようとこれをつけねらわれると、その兵士は、はじめ卑下と愁訴の限りをつくして主君の怒りを鎮めようとしたが、ついにせっぱつまって、剣をとって王を待つ決心をした。彼のこの決心は主君の怒りをぴたりととめた。この男にもこのように尊い決意があったのかと思し召されて彼をゆるされたのである。この実例は別様の解釈をもゆるすかも知れないが、そのような説をたてる者どもは、この王様の驚くべき武勇のほどを読んだことがないにきまっている。
皇帝コンラート三世は…