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水車のある教会
すいしゃのあるきょうかい |
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作品ID | 59477 |
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著者 | オー・ヘンリー Ⓦ |
翻訳者 | 三宅 幾三郎 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「世界文學全集(36)近代短篇小説集」 新潮社 1929(昭和4)年7月25日 |
入力者 | sogo |
校正者 | 岡村和彦 |
公開 / 更新 | 2020-06-05 / 2020-05-27 |
長さの目安 | 約 25 ページ(500字/頁で計算) |
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レイクランヅはハイカラな避暑地の目録には入つてゐない。クリンチ川の小さな支流に臨むカンバランド山脈の低い支脈の上に在る。もと/\レイクランヅといふのは、寂しい狹軌鐵道沿線の、二十數戸の靜かな村の名である。まるで、鐵道が松林の中で道に迷つて、怖く淋しくなつて、その村へ逃げ込んだやうにも見え、又村の方が道を失つて、汽車に故郷へ連れて歸つて貰ひ度さに、線路のふちに固まり合つてゐるといつた風にも見える。
それに、レイクランヅといふ村の名も變だ。湖水なんか無いんだから、そのほか、附近には取立てゝ云ふ程の物もない平凡なところだ。
村から半哩ばかりのところに、イーグル・ハウスといふ大きな廣い建物がある。それは安直に山の空氣を吸ひたいといふ人達の便を計つて、ヂョウシア・ランキン氏が建てたものである。そこの經營は愉快な程下手で、現代風の改良など施さず、萬事古風のまゝである。全くうつちやらかし、遣りつ放しなのも、自分の家にゐるやうな氣がして、暢氣で面白い。しかし、綺麗な部屋をあてがはれ、食べものはいゝ上に十分だから、あとはお客の方で松林へでも出て遊べばいゝのである。自然はこの土地に、鑛泉や、葡萄蔓のぶらんこや、クローケをめぐんでくれた、――その球戲に普通用ひる鐵輪も、こゝのは木で出來てゐる。又、藝術の方面では、たゞ[#挿絵]イオリンとギタとの合奏位に過ぎないが、週に二度の園亭の舞踏會で、音樂が聽ける。
イーグル・ハウスの常客連は、たゞ遊びに來るといふだけでなく、必要上保養に來る人達である。彼等は、一年中動く爲めに、二週間ごとに卷くことを必要とする時計にも譬へるべき、忙しい人達である。方々の都會の學生、時には畫家や、その邊の古い地層の研究に沒頭してゐる地質學者などの顏も見える。こゝで夏を送る幾組かの家族もある。又、この土地で「學校の姉さん達」と呼ばれてゐる忍從を旨とする婦人宗教團の團員達も、よく疲れた顏を見せる。
イーグル・ハウスから三四町行くと、面白いものがあるが、若しイーグル・ハウスが土地案内を出せば、それを一つの名物としたに違ひない。それは、もう[#挿絵]つてはゐないが、古い/\水車小屋なのである。ヂョウシア・ランキンの言葉を借りていへば、それは「合衆國唯一の水車のかゝつた教會であり、又、會衆席とパイプオルガンとを備へた世界唯一の水車小屋」である。イーグル・ハウスのお客達は、毎日曜日にその古い水車小屋の教會へ行つて、純潔な基督教徒は、經驗と勞苦との臼に挽かれて有用になつた上等の麥粉のやうなものだといふやうなお説教を聽いて來る。
毎年初秋の候になると、イーグル・ハウスへ、エイブラム・ストロングといふ人が逗留に來たが、彼は人々の敬慕の的となつてゐた。レイクランヅでは、彼は『エイブラム師』と呼ばれた。雪白の髮、しつかりとした優しい赭顏、陽氣な哄笑、それに彼の黒衣と鍔廣…