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乞食
こじき
作品ID59491
著者ルヴェル モーリス
翻訳者田中 早苗
文字遣い新字新仮名
底本 「夜鳥」 創元推理文庫、東京創元社
2003(平成15)年2月14日
初出「新青年」1923(大正12)年8月号
入力者ノワール
校正者栗田美恵子
公開 / 更新2020-10-17 / 2020-09-30
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 夜は刻々に暗くなってゆく。
 一人の老ぼれた乞食が、道ばたの溝のところに立ちどまって、この一夜を野宿すべき恰好な場所を物色している。
 彼はやがて、一枚のあんぺらにくるまって身を横えると、小さな包みをば枕代りに頭の下へ押しこんだ。そのあんぺらは彼にとって殆んど外套の代用をなしているものであるし、またその包みは年中杖の尖にぶらさげて持ちあるいているのである。
 彼は飢と疲れでがっくりと仰臥になったまま、暗い蒼穹にきらめく星屑をうち眺めた。
 街道は森閑と茂った森にそうていて、人っ子一人通らない。鳥はみな塒にかえってしまった。向うの村は大きなどす黒い汚点のように見えている。老乞食はこうした寂しい場所にじっと寝ころんでいると、何だか悲しくなって来て、喉に大きな塊りがこみあげて来るのであった。
 彼はまるっきり両親というものを知らない。元来捨て児だったのを、或る百姓に拾われて暫く育てられたが、また捨てられてしまった。それで、子供の時分から路傍に物乞いして辛と生命をつないできた彼は、生きてゆくことの辛苦を厭というほど嘗めさせられたのである。それに、日蔭ばかりをくぐって来たものだから、世の中については悲惨ということの外には何も知らない。長い冬の夜は、水車場の軒下で明かすのだ。彼には、物乞いをする恥と、むしろ死にたいという望み――再び醒めざる眠りにおちたら如何に楽だろうという憬れがあるだけで、その外に何の考えとてもない。
 世間のすべての人が彼に対して情なくも疑りぶかいのだが、一等困るのは、皆んなが彼を怖がっているらしく思われることである。村の子供等は彼の姿を見ると逃げ隠れるし、犬どもは彼の汚いぼろ服に吠えつく。
 それにも拘らず、彼は他人に対して悪意というものを持ったことがない。貧苦のために痴鈍になったとはいうものの、元来樸訥で優しい気象を彼はもっているのである。
 彼は今うとうとと眠りかけたが、ふと向うから馬の鈴の音が聞えて来た。顔をあげると、燈りが一つちらちらと街道を動いて来るのが見える。彼はぼんやりその燈りを見つめていると、やがて一台の大きな荷車と、それを牽いている一頭の逞ましい馬がはっきりと見えて来た。その荷馬車は非常に高く荷物を積んでいて、街道一杯にふさがっているようだ。そして一人の男が鼻唄をうたいながら馬の傍を歩いている。
 唄は直きに杜絶えた。と、道が登り坂になって、蹄鉄のはげしく石に触れる音がする。馬子はぴしゃりぴしゃりと鞭をあてながら、尖り声で馬を叱りとばしている。
「それっ! しっかり!」
 荷が重いものだから、馬は満身の力をしぼって、頸が精一杯に前へのびる。二、三度立ちどまって膝を折りそうにしてはまた起ちあがる。そしてその度に、肩のあたりから後脚へかけておそろしく緊張する。
 そのうちに曲り角へ来て馬車はぱったりと立ちどまった。馬子は車輪に肩をあ…

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