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自責
じせき
作品ID59492
著者ルヴェル モーリス
翻訳者田中 早苗
文字遣い新字新仮名
底本 「夜鳥」 創元推理文庫、東京創元社
2003(平成15)年2月14日
初出「新青年」1924(大正13)年8月増刊号
入力者ノワール
校正者栗田美恵子
公開 / 更新2020-11-25 / 2020-10-28
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 扉が開いたけれど、私は廊下に立ちどまってもじもじしていると、
「此室でございます」
 私を迎えに来て其家まで案内してくれた婆さんが、こういって再び促したので、私は思いきって入って行った。
 室内はいやにうす暗くて、初めは低い蓋をかぶせたランプの外何も見えなかったが、だんだん眼が慣れて来るにしたがって、一箇の人影がぼんやりと壁にうつっているのを認めた。その影はじっとして動かなかった。何しろ痛ましく痩せおとろえて、殆んど骨と皮ばかりになって、顔なども尖々しく見えた。
 石油の臭いとエーテルらしい臭いが私の鼻をついた。しんとした死の国のような静寂の中で、屋根のスレートを叩いている雨と、煙突に風のうなる音が聞えるだけであった。
「先生」
 婆さんは寝台へ屈みこむようにして静かに声をかけたが、そのときに寝台がやっと私の眼にも見えて来たのであった。
「先生、貴方が会いたいと仰しゃったお方をお伴れしました」
 すると影の主はあわてて半身起きあがって、
「ありがとう、マダム。もういいです、帰って下さい」
 かすかな声である。
 やがて、婆さんが扉を締めて出て行ったのを聞きすましてから、その声が改めて私に挨拶をした。
「こっちへお寄り下さい、貴方、私は眼が霞んで物の見分けもつかぬ上に、耳鳴りがしてお話もよく聞き取れません。どうぞ、ずっと傍へいらして下さい、そこに椅子がありましょう。お呼び立てして大変失礼でしたが、実は、是非貴方にお話ししなければならぬことがありますので」
 彼は私の方へ顔をさしのべて眼をぎろりと見張った。そして震えながら覚束ない声で、
「貴方はジェルヌーさんですね。検事のジェルヌーさんでしょう」
 と念をおした。
「そうです」
 私が肯ずくと、安心したようにほっと溜息をして、
「これで、私もいよいよ告白が出来ることになりました」
 とその年老いた病人は語りだした。
「先刻あげた手紙にはプリエと署名しましたが、あれは私の本名ではありません。御覧のとおり、私はもう死神に取憑かれているので、人相も変ってしまったでしょうが、幾らか昔の面影が残っているなら、おぼろげにも見覚えがおありでしょう。然しそれはまア何うでもいいです。
 随分古いことですが、私はもと検事を勤めておりました。その頃は前途有望の法官という評判をとったもので、私も大いに名を成そうという考えから、自分の才能を現わす機会をねらっていると、巡回裁判で、或る事件が私にその機会を与えてくれました。それは或る小さな町に起った殺人事件です。巴里でならさほど注意を惹く事件でもないが、町が小さいだけに大変な騒ぎでした。
 私は法廷で判事がその告訴状を読み上げるのを聴いた時から、これはなかなかの難事件だと思いました。犯行については詳細な調査が遂げられたけれど、犯人が自白をしないので、屡々自白から惹出される決定的事実という…

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