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碧眼
へきがん
作品ID59495
著者ルヴェル モーリス
翻訳者田中 早苗
文字遣い新字新仮名
底本 「夜鳥」 創元推理文庫、東京創元社
2003(平成15)年2月14日
初出「夜鳥」春陽堂、1928(昭和3)年6月23日
入力者ノワール
校正者栗田美恵子
公開 / 更新2020-12-19 / 2020-11-27
長さの目安約 12 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 女は寝台のそばに立って、しょんぼりと考えこんでいた。病室用のだぶだぶな被布にくるまっているせいでもあろうが、何だか実際よりも痩せ細って見えた。
 あの愛くるしい顔もすっかり衰えてしまった。眼の縁はうすく黯ずんだけれど、哀愁をたたえた底知れぬ深さの碧眼が不釣合なほど大きく見えて、それが僅かに顔の全体を明るくしているようだ。頬は、肺病患者によくある病的紅潮を呈し、そして鼻の両側に出来た深い凹みは、恰かも止め度ない涙のために、そこのところだけ擦り耗ったかと思わせるのであった。
 彼女は、受持の医員が傍へやって来たのを見て、お辞儀をすると、
「おい四番、お前さんは外出したいって云ったそうだが、本統かい」
「はい」
 かすかに囁くほどの声で答えた。
「飛んでもないことだ。お前さんは辛と二、三日前に起床られるようになったばかりじゃないか。それに、こんな天気に外出するとまた悪くなるよ。もう少し我慢をしなさい。此院は別段不足がない筈なんだが、それとも誰か気に触ることでもしたかい」
「いいえ、先生、そんなことはございません」
「そんなら何故だしぬけに外出したいなんて云うんだね」
「わたし、どうしても出かけなければなりません」
 きっぱり云って退けた。その声は案外しっかりしていた。そして、問いかえされぬ前に急いで後をつづけた。
「今日は万聖節でございますわね。わたし一緒になっていた男の墓に、今日はきっとお詣りしてお花を供げるっていう約束をしました。わたしの外には誰もお花なんか供げてくれ手がないんです。それで、堅い約束をしましたの」
 涙が一滴、眼瞼にきらりと光ったのを彼女は指で押しぬぐった。
 医員は何となく可憫そうになって来た。そして一種の好奇心からか、それとも何か云ってやらねばあんまり無愛想だとでも思ったのか、ふと彼女に問いかけた。
「その情人は何時亡くなったの」
「もう、一年になります」
「何だってそんなに若死をしたんだね?」
 女は慄然としたようであった。その落ちくぼんだ胸部や、細々と痩せた手首などが一そう惨々しく見えた。そして彼女は半ば眼をつぶり、唇をふるわせながら、
「死刑になりましたの」
 と呟くようにいった。
 医員は暫く唇を噛んでいたが、
「それは可憫そうな。ほんとうにお気の毒だね。それで、どうしても外出がしたいというなら、出かけなさい。風邪を引かんように気をつけてね。明日は帰って来なければいけないよ」
 病院の門を出ると、ぞっと寒気がした。
 それは寂しい秋の午前であった。こまかい霧雨が壁に降りかかり、すべてのものが――空も建物も裸になった樹々も、霧に鎖された遠方も――おしなべて灰色に見えた。人々は早くこの濡れた往来から遁れようとして、忙しげに歩いていた。
 彼女は真夏からずっと入院していたので、衣物もそのときに着て来た、地質の薄い、色の華美なものであった…

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