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ペルゴレーズ街の殺人事件
ペルゴレーズがいのさつじんじけん
作品ID59497
著者ルヴェル モーリス
翻訳者田中 早苗
文字遣い新字新仮名
底本 「夜鳥」 創元推理文庫、東京創元社
2003(平成15)年2月14日
初出「夜鳥」春陽堂、1928(昭和3)年6月23日
入力者ノワール
校正者栗田美恵子
公開 / 更新2019-08-29 / 2019-07-30
長さの目安約 12 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 列車は夜闇の中をひた走りに走っていた。
 私の車室にいた三人の乗客――老紳士と、若い男と、ごく若い女――は、誰も眠らなかった。若い女がときどき若い男に何か話しかけると、男は身振りで答えるばかりで、またひっそりと沈黙におちた。
 二時頃に、速力を緩めないで或る小さな駅を素通りした。駅燈がちらと車窓をかすめると、やがて車体が転車台のところでがたがた跳ったものだから、うとうとしかけたばかりの若い女は、その震動と音響で目をさました。
 若い男は、手套をはめた指先で窓硝子を拭いて外を覗きこんだが、駅の時計も、ランプも、駅名札ももう闇にかくれていた。
「ジャック、ここは何処なの」
 女が慵い声で訊くと、若い男は懐中時計を出してちょっと考えて、
「判然わからんがね、時間からいうと、もう直きにポンターリエだろう」
「否、まだなかなかですよ」と老紳士が口をはさんだ。「まだトンネルも越しませんからな」
 若い男はお礼をいった。女は溜息をついて、
「ほんとうに、この汽車は何て長いんでしょうね。わたし些とも眠れないのよ。せめて新聞でも買っておいて下さればよかったのに」
「失礼ですが」
 老紳士はそういって、幾枚かの新聞を彼女の方へのべた。
 彼女はしとやかにそれを受けて、莞爾した。若い良人はお礼ごころに巻煙草の函を老紳士の方へさしのべて、
「一本いかがですか」
「難有う」
 その若い男は三十ぐらいの苦味ばしった細面の好男子で、きりりと引緊った体格に、粋な服装をしていて、眼付はごく柔和で、殊に細君を見るときの眼ざしが優しかった。
 細君は夢中になって新聞に読みふけっているらしかった。若い男は辷りおちた膝掛を直してやって、細君の眼が疲れぬように、ランプの蔽いをおろしてから、ちょいと彼女の手を撫でて、
「これでいいだろう」
 細君は莞爾した。そこで若い男は老紳士の方へ向きなおって、
「どうも難有うございました。この汽車は長くて、辛いですね。殊に家内は夜汽車に慣れないものですから」
 すると老紳士は愛想よく答えた。
「この季節は夜明けが遅いもんだから、ヴァロルブへ着いてもまだ暗いのに、彼駅では税関の手続きがあるので、三十分間の停車です。貴方がたは多分伊太利へいらっしゃるんでしょう」
「いや、瑞西へ出かけるところです。家内が少し健康がわるいので、医者から山へ転地しろと云われたものですから。しかし山が寒くて此女が困るようでしたら、湖水の方へ降りるつもりです。此女はよほど大切に保養せねばならんのです。それに私もこの頃過労れているので、ゆっくり静養したいと思います」
 若い細君は、新聞を続けざまに皆な読んでしまってから、
「何もありませんわ。私の大好きな記事を書いてくれないんですもの。わたしは小説なんかよりも、あの事件の後報を待っているのよ」
 良人は肩をすぼめて、
「あの事件の何処にそんな興味…

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