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琉球史の趨勢
りゅうきゅうしのすうせい
作品ID59507
著者伊波 普猷
文字遣い新字新仮名
底本 「古琉球」 岩波文庫、岩波書店
2000(平成12)年12月15日
初出「沖縄教育会にての演説」1907(明治40)年8月1日
入力者砂場清隆
校正者かたこ
公開 / 更新2020-08-13 / 2020-07-27
長さの目安約 25 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私は今日郷土史に就いて鄙見を述べたいと存じます。すなわち琉球の代表的人物が自国の立場に就いて如何なる考えを懐いていたかということをお話致そうと存じます。一体世の大方の人は琉球史上の特殊の時代の人民がはたらきまた考えた結果を見て直ちに琉球史を一貫せる精神を捕えようとする傾きがありますが、これは余り宜しくない態度であります。慶長十四年の琉球入とか明治十二年の廃藩置県とかいうような社会の秩序の、甚しく乱れた時代にはいつも感情が働き過ぎる故、一般の人民は正当に時勢を解釈することの出来ないものであるが、偉大なる人物は如何なる時代にもその理性を失わないで、正当に時勢を解釈し、かつ誘導して、これに処する道を知らしめるのでありますから、吾人はかかる人物の考えやはたらきによって、沖縄人の真面目なる所を知らなければなりませぬ。今ここに向象賢や蔡温や宜湾朝保の如き琉球の代表的人物を紹介するに先ちて、沖縄人が他府県人と祖先を同じうするという事を述べる必要がありますが、これはかつて新聞や雑誌に書いた事もあるから、ここでは申上げませぬ。(「琉球人の祖先に就いて」参照。)とにかく今日の沖縄人は紀元前に九州の一部から南島に殖民した者の子孫であるという事だけを承知してもらいたい。さてこの上古の殖民地人は久しく本国との連絡を保っていたが、十四世紀の頃に至って、本国の方では吉野時代の戦乱があり、自分の方でも三山の分争があったので、本国との連絡は全く断絶してしまったのであります。この時に当って沖縄人は支那大陸に通じて臣を朱明に称し、盛にその制度文物を輸入したのであります。当時の沖縄人はやがて、支那人に扮した日本人であったのである。十五世紀の頃に至って、沖縄島に尚巴志という一英傑が起って三山を一統した時に、久しく断絶していた本国との連絡は回復せられ、日本及び支那の思潮は滔々として沖縄に入り、十六世紀の初葉に至って沖縄人は日本及び支那の文明を消化し沖縄的文化を発揮させたのである。これ即ち尚真王が中央集権を行った時代である。琉球の万葉ともいうべきオモロが盛に歌われたのもこの時代である。琉球語を以て金石文や消息文を書いたのもこの時代である。而してこの精神は遂に発して南洋との貿易となり、山原船は遥にスマトラの東岸まで航行して葡萄牙の冒険家ピントを驚かしたのである。沖縄人はこの時代に於て既に勇敢なる大和民族として恥かしくないだけの資格をあらわしたのであります。ところが両帝国の間に介在するの悲しさ、沖縄人は充分にその本領を発揮する事が出来ないで、漸く機械として取扱われるようになったのである。すなわち島津氏は沖縄の位地を利用して当時鎖国の時代であったにかかわらず、沖縄の手を通して支那貿易を営んだのであります。しかしながらこの頃薩摩と琉球との関係は、至って散漫なる者であったが、豊太閤が朝鮮半島に用いた勢力の余波は…

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