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続蘿洞先生
ぞくらどうせんせい
作品ID59511
著者谷崎 潤一郎
文字遣い新字新仮名
底本 「潤一郎ラビリンスⅡ――マゾヒズム小説集」 中公文庫、中央公論社
1998(平成10)年6月18日
初出「新潮」1928(昭和3)年5月号
入力者悠悠自炊
校正者岡村和彦
公開 / 更新2024-07-30 / 2024-07-24
長さの目安約 18 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

例の蘿洞先生が近頃奥さんを貰ったと云う噂がある。真偽は保證の限りでないが、しかし先生のことであるから、こっそり世間に知らせずに結婚し、何喰わぬ顔で澄ましていると云うようなこともないではなかろう。兎に角誰もほんとうの消息を知っている者はないのだが、今回も亦妙な因縁で、あの時のA雑誌記者がそれに関係しているのだと云う話。そして噂も右の記者から出たのである。
A雑誌記者は、いつぞや先生と蒟蒻問答をして以来スッカリ恐れ入ってしまい、あれきり訪ねたことはなかった。たゞ先生があれから間もなく大学の教授を罷めたのを新聞紙上で知ったゞけだった。はゝあ、教授を罷めて著述の方をやりたいと云っていたから、いよ/\引退したんだなと、記者はその時そう思ったけれども、その後どんな著述をしたか、何を研究しつゝあるか、多分専門の学術雑誌にでも発表されているのだろうぐらいに考えて、あまり問題にもしなかった。その間に数年を経、記者の方も今ではA雑誌社を退いてB新聞の演藝記事を担任していた。
で、去年の三月中の或る晩の八九時頃、以前のA雑誌記者ことB新聞記者が浅草公園へ行ったついでに、ちょうどその時分昭和劇場にかゝっていた夢遊斎一座の奇術を覗いたことがあった。記者は奇術が好きなのではないが、此の一座には往年の歌劇の残党が加入していて、その中に二三の顔馴染があったものだから、なつかしくなって立ち寄ったのである。そして楽屋を訪ねた帰りに舞台の袖から演技を見ていると、その時図らずも不思議なものに眼が止まった。オヤオヤ、此れはおかしいぞ、蘿洞先生がこんな所に来るのかしら?―――記者は最初は人違いであると思った。と云うのは、今しも舞台では奇術の合間にバレエ風の女優の踊りが始まっていて、五六人の若い踊り児のはだかの脚が入り乱れつゝある向うに、客席の一番とッ鼻からそれを見物しているお客の顔が、見れば見るほど蘿洞先生に似ているのである。尤も舞台とその顔との間には一列の脚光がぎら/\燃えているためにはっきり見定めにくいのだが、口を半分ほど開けて、白い歯を出して、にや/\しながらひっつりのような薄笑いを浮かべつゝ見ている表情は、あのいつぞやの無気味な笑い方にそっくりである。勿論記者の位置からは顔の下はよく分らない。たゞ顔だけが、曝し首のように舞台の地平線の上へ出ている。先生の顔はたしか青ん膨れであったのに、その顔は赤味を帯びているのが違った感じを与えるけれども、それも脚光の反射のせいであるかも知れない。―――記者がそう思っているうちに、やがて舞台では脚光が消えて、赤、青、緑、紫、と色電気がぱっと射した。それにつれて又その蘿洞先生の首が赤、青、緑、紫に変るのが餘程奇妙な見ものであった。
だがどうもおかしい、いくら畸人であるにしても、あの北向きの書斎の中に閉じ籠っている筈の、独身者の、人間嫌いの、学者の先生が、こんな時…

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