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藤野古白句集
ふじのこはくくしゅう
作品ID59516
著者藤野 古白
文字遣い新字旧仮名
底本 「同人誌「清鑑」 2018年 秋季号(通算第15号)」 Ama River Publishing
2018(平成30)年10月4日
入力者藤井英男
校正者大久保ゆう
公開 / 更新2019-04-12 / 2019-04-12
長さの目安約 98 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

1.序

 明治の文学者、藤野古白(1871(明治4)年9月22日生、1895(明治28)年4月12日没)は、愛媛松山の生れ。彼が九歳の時、一家が東京に移り、成年となってからは、東京と松山を往復するようになる。幼名、久万夫、本名、潔。正岡子規とは四歳下の従弟。明治21年頃より子規の俳句サークルにて句作し、趣向や句法の斬新さで頭角をあらわす。この頃一時重い抑鬱的精神障害に陥り、入院、治療を受ける。明治27年頃より、東京専門学校(現早稲田大学)の坪内逍遥を中心とする文芸サークルで島野抱月や後藤宙外らと活動しはじめ、明治28年に戯曲「人柱築島由来」を「早稲田文学」に発表する。この頃から自殺への決意が固まってゆき、この世の「かたみ」として精魂を傾けたこの作品も世評には上らず、28年の春ピストル自殺した。享年24歳。明治27年以降、創作の熱意が戯曲へと移っていく中でも俳句創作は継続された。ただ、子規はこれら古白の後期の俳句について、それ以前の句への肯定的な評価と打って変わって否定的な評価をするようになった。この点については、本句集末尾の解題で考察する。本句集は彼の最初期から晩年までの俳句を収集し、調査できた範囲で制作年順に並べたものである。

(本句集の編集について)
 本句集の構成としては、収集した古白の句を、まず各制作年ごとに区分した。ただし、年代の同定できなかったものについては末尾に纏め、また、子規編の「案山子集」に含まれる古白句については、別文献から年代推定できない限り、明治23〜25年として別の一括りとし、同様に後藤宙外の「明治文壇回顧録」所収の「友垣草紙」からの古白句は明治26〜27年春の句として一括りにした。各年内では、句を季(新年、春、夏、秋、冬)の順に並べたが、所謂「無季」の俳句は「雑」として末尾に置くことはせず、季名を付けずに各年の最初に置いた。各季中の配列として、各句は概ね句の季語や題材ごとに纏め並べたが、「古白遺稿」のように季語を立てて括ることはしなかった。厳密な順序付けをしたものでないことは最初にお断りしておきたい。
 各句の記載では、句に引き続いてその後ろに制作日付を示した。この日付は、典拠とするものが複数ある場合は、書簡>句会の日付>その他の二次的情報の優先順位で定めた。作者は通常まず書簡などで子規や友人達に知らせた後日、句会という公式の場で発表するという順序をふんでいるので、句が胚胎されたインセプションの時期に最も近い時期を示していることとなる。
 また各行末には、句の通し番号を※記号を付して示した。この※番号は、同時に本集中の編注番号でもある。通し番号の後ろには、「/」で区切って、出典を示す二文字のコード(「句集」、「書簡」など)を示した。この出典は、表示句についてのものであって、制作年で示された句の初期形のものであるとは限らない。複…

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