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茶の改革
ちゃのかいかく
作品ID59525
著者柳 宗悦
文字遣い新字新仮名
底本 「日本の名随筆24 茶」 作品社
1984(昭和59)年10月25日
入力者浦山敦子
校正者木下聡
公開 / 更新2023-05-03 / 2023-05-01
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私は今までの「茶」に、どうもあき足りぬ。宗匠と言われる人々の「茶」でも、その眼力や識見や精神に何か便りなさを感じる。著しい弊害をも是正しようとはしないし、用いる器物でさえ、玉石の見分けがあやしい。「わび」、「さび」などの境地から凡そ離れた茶会の有様を見ると、いつも落胆せざるを得ぬ。
 それに、私のような自由な立場の者からすると、千家に無上の権威を認めるなどは、とてもおかしい。家元であれば、皆大茶人であるとは義理にも云えぬ。それを有難がる本当の理由はどこにあるのか。凡て封建制のかもす不思議さなのである。
「地獄の沙汰も金次第」というが、免許状も金次第では、茶の道が乱れる。中世時代にカトリックの法王庁で「免罪符」を売ったのを、笑うわけにゆかぬ。
「茶」を金銭の濁りから洗う必要があるとすると、今の家元制度に「茶」を任せておくわけにゆかぬ。随分、堕落するところまで堕落したものである。
 只、「茶」そのものには、大した内容があるし、将来世界の文化に寄与する面があると考えられるので、之を何とか正道に戻したい気がしてならぬ。併し、私は嘗って自ら茶人になろうと志したことがなく、従って所謂茶の湯には一向に不慣れな者であるから、陣頭に立って新しい「茶」を指揮するような意向はない。そういうことは、目覚めた茶人自らが為すべきである。
 併し、考えると、今日まで三、四十年も携わってきた私の仕事は、陰に陽に、「茶」と関係が深い。『茶と美』と題した著書をしたくらいであるから、茶の道にはいつも関心が濃い。それで「茶」が堕落してゆくのを見ると、黙してはいられないような気持になる。余りひどい点が多くなってきたので、訂正してよい点は遠慮なく訂正する人が出てこねばならぬ。併し茶世界に浸っている茶人たちには、それがやりにくいと見える。一向に旗色を鮮かに掲げる者が現われぬ。中には不満を抱く茶人も必ずやいるのだろうが、何かに縛られて自由がないのである。それで、真の茶人が出るきっかけを作るために、私の如き者が、何かの試みをするのも意味があろう。只の理論では不十分であるから、之を実行するために茶会を開くに至ったのである。前述の如く、私は茶人でないから、十分な資格が備わっているとは思わないのだが、茶人だと却って出来にくい事情もあろうから、在野の私が幾許かの仕事をするのも無意味ではあるまい。
 それに私は、長年民芸館のために、いろいろの品を集めて来たのである。尤も茶器を目当にしたことは一度もなく、まして在来の型の品を特に重んじて集めた場合はない。併し、考えると、真に美しい品なら、何等かの意味で皆茶器だとも云えるし、将来茶室の構造でも変ったら、茶器の性格や寸法も変るから、集めた中から「茶」に用い得る器物がいろいろと現われよう。それに在来の名器に匹敵し得るものが、決して少くはあるまい。今までの茶人たちは、そんな品…

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