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妻のこと
つまのこと
作品ID59526
著者江戸川 乱歩
文字遣い新字新仮名
底本 「日本の名随筆 別巻18 質屋」 作品社
1992(平成4)年8月25日
初出「わが夢と真実」東京創元社、1957(昭和32)年8月25日
入力者浦山敦子
校正者noriko saito
公開 / 更新2023-10-21 / 2023-10-16
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 この本を編集して、目次を並べてみたとき、祖先のことは書いてあるのに、直接の父母のことがないのはおかしいと思ったので、あとから「父母のこと」を書き加えたが、すると今度は、父母のことがあって、もっと直接な妻のことが何も書いてないのはおかしいという感じがした。息子や孫は、これから先が長いのだから、しいて書くにも及ばないが、私と同伴している妻のことに触れないのは、やっぱりおかしいのである。そこで、ごく簡単に書き加えることにした。
 妻は村山隆子といって、今は三重県鳥羽市に編入された坂手という島の米穀、酒、雑貨商(田舎によくある「よろず屋」である)の娘であった。当時は坂手村といい、漁師ばかりの島で、隆子の父は雑貨商は人まかせで、村に一つの小学校の先生をしていたという。この父は早く歿して、私は会っていないが、そういう田舎にしては好学の人であったようだ。
 母がしっかりもので、父の歿後、隆子の兄の年少の間は、一人で店を切りまわしていた。村山家は代々万右衛門を名乗り、そういう商売をしている家は、ほかに一軒しかなかったので、まず村での資産家であった。今は隆子の兄も半ば隠退して、その長男が店をやっている。
 隆子は高等小学校は対岸の鳥羽町へ舟で通い、それから、坂手からは遠くにある亀山町の三重県立女子師範に入学し、下宿したり寄宿舎に入ったりして、そこを卒業し、卒業と同時に、自宅のある坂手村の小学校に奉職した。
 私は大正六年の十一月ごろから、大正八年の正月まで、神戸鈴木商店の経営していた鳥羽の造船所に勤めたが、その大正七年のことだと思う。私は若い同僚たちと「鳥羽お伽会」というものを作り、鳥羽町の劇場や、付近の小学校などでお伽話の会をひらき、同僚たちといっしょに、演壇でお話をして喜んでいたものだが、あるとき、近くの坂手村小学校でも、この会を開くことになり、その交渉に出かけたとき、教員室ではじめて隆子に会ったのである。そして、お互に認めあったらしいのである。そのころの隆子は田舎にしてはととのった理知的な顔をしていたし、笑顔もよかった。進歩的な考えも持っているようにも見えた。それから文通がはじまり、まあラブレターのやり取りをしたものである。
 しかし、私は恋愛と結婚とを別物に考えていた。まことに申し訳ないわけだが、私の性根は別項、「恋愛不能者」に告白しているとおりで、結婚を予想する恋愛ではなかった。それ故、手紙は書いても、ほとんど会わなかったし、接吻はもちろん、握手一つしたこともないのである。
 ところが、私は鳥羽に一年余りいるうちに、料理屋などに片っぱしから借金を作り、とうとう居たたまらなくなって、夜逃げをしてしまった(作家になってから、その借金は返済した)。そして、東京へ出て、何のあてどもなく放浪しているうちに、私の母方の祖母が死に、そのヘソクリの二千円余りを私の弟と、私の甥が折…

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