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お茶好き小話
おちゃずきこばなし
作品ID59527
著者吉野 秀雄
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆24 茶」 作品社
1984(昭和59)年10月25日
入力者浦山敦子
校正者noriko saito
公開 / 更新2023-07-13 / 2023-07-10
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 わたしのお茶好きは祖母の影響だ。八つの年、父母の許をはなれて、祖父母のゐる町で小学校へあがり、そこに六年間暮らしたが、祖母は溜塗りの炉べりのついた囲炉裏に座り、南部の鉄瓶に湯をたぎらせてお茶ばかりのんでゐた。少年のわたしも朝茶をのみならひ、また玉露のお茶づけのうまさも身にしみるやうになつた。中学へ進むので両親の家へ戻つたが、父は実業一方の人で、「上物のお茶をのむやうでは家はもたぬ」といひ、自分ではもっぱら[#「もっぱら」はママ]塩味の番茶を愛飲してゐた。番茶も焙じ工合によつては決してまづくないにせよ、やはり緑茶の魅力には比すべくもなくない。
 今日、わたしも家内もお茶には目がなく、抹茶と煎茶の双方だし、宇治・静岡・狭山と、どこの産でもかまはぬが、わが家へ来る人々皆相談でもしたやうに、「お宅のお茶は結構です」といふ。「お宅のお茶」とは、手製でない限り、どうも妙な表現だし、それに亡父のいましめにほだされ、二級品程度の贅沢でがまんしてゐるので、一層恐縮もするが、これは多分こつちのお茶好きの心がそのまま向ふに通ずるからだらうと思ふ。
 いままでにいちばん印象深くて忘れかねるのは、数年前の春の暮に、肥後の人吉の友が送つてくれた新茶だつた。それは人吉の旧城下を流れる球磨川をさらに十何里も東北へさかのぼつた日向との国境ひの川――その山を越せば「庭の山しゆの木 鳴る鈴かけてヨ」の稗搗節で名高い椎葉の里となる――の野生の茶の木の新芽のよしで、その香りのすがすがしさには文字通り舌を巻いたことであつた。わたしが思はず筆を執つてかいた礼の歌が未発表のまま、手帖の端に残つてゐる――。

球磨川の遠つみなかみにおのづから生ふる茶の木の新芽とぞいふ
この朝球磨の新茶をすすろへば目に映るものなべてすがすがし

 がさて、「野生の茶の木」とは如何。茶の種は鎌倉時代に寿福寺の開山栄西がはじめて宋からもたらしたものといはれ、栄西を嗣いだ二代行勇の法弟将軍実朝などもお茶を珍重し、二日酔ひの薬に用ひたと記録されてゐるが、中国種とは別に日本原産の茶も暖国の山地にはあつたらしく、肥後のはそれに違ひない。
 わたしの住んでゐる鎌倉の、瑞泉寺住職大下豊道和尚はわたしと親しい仲だが、その夫人が大井川鉄道の終点千頭の出なので、夫人帰郷のみやげにはたいてい竹茗堂のお茶をもらふし、静岡用宗の俳人鈴木雹吉もまた毎年この店の新茶を送つてくれる。いや、わたし自身、天明創業の歴史をゆかしみ、駅前の竹茗堂だけでなく、呉服町の本舗に立寄つたこともある。いやいや、川根の茶作りの実際も、家山の野守ノ池のめぐりの茶圃は三光寺住職矢部聞声和尚の案内で見たし、大井川々上の青部・崎平返の、山がかつたそれの様子も知つてゐる。朝靄湧いて昼もなほ消えやらず、やがて夕霧が早くもかかるといふ、その軽紗を漉して射す日の光が、茶の葉をおもむろに柔かく…

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