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一人ぼっちのプレゼント
ひとりぼっちのプレゼント
著者山川 方夫
文字遣い新字新仮名
底本 「夏の葬列」 集英社文庫、集英社
1991(平成3)年5月25日
入力者kompass
校正者noriko saito
公開 / 更新2021-01-31 / 2020-12-27
長さの目安約 19 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 ホテルは海に面していた。といっても、ホテルと海との間には、まず幅のある舗装道路があり、それから海岸公園のわずかばかりの緑地帯がある。海はその向うに、白や淡緑色の瀟洒な外国汽船や、無数の平べたい艀や港の塵芥やを浮かべながら、濃い藍色の膚をゆっくりと上下していた。
 ホテルの隣りには小さな花屋がある。おそい秋の午後の、重みのない透明な光が、色とりどりの切花や鉢植えの花を輝かせて、そこにだけ鮮やかな色彩が乱れている。
 その入口から、まだ若い夫婦らしい二人づれが出てきた。薄いウール地の和服の女は、眩しそうに掌で眉の上に廂をつくり、ワイシャツにセーター、ズボンの男のほうは、所在なげにホテルの部屋鍵を指で廻している。二人はぶらぶらと歩いて行き、まるで立止ったり向きを変えるのが面倒なためのように、そのまま舗道を横断して、海岸公園に入った。
 女は顔をしかめた。手を頬にあてる。
「雨かと思ったら、繁吹が風で飛んでくるのね。痛いわ」
 男は答えずにベンチに近づく、海が、その足もとに轟音をたたきつける。
「海なんて大きらい」と、女がいった。
 男はベンチで脚を組んだ。ポケットからハンカチを出し、眼鏡を拭きはじめる。
「私はね、海のそばにいると、くたくたに疲れちゃうの」
「だから、今夜帰ろう。目白の家に」
「でも私、海のそばを離れたくもないの」
 女もベンチに坐った。男は煙草を出し、手でかこって苦心してライターで火をともした。
 手伝うでもなく、女はそれを見ている。
「いつまでも母に留守番をさせとくわけにもいかないしな」と、男はいった。
「お母さま、いい方ね。私好きよ」
「母も君のこと、すごく心配している」
「弘はお母さまに似てたわ」
「弘のことはいわない約束だぜ」
「あ。ごめんなさい」
 男は深呼吸のように腕をのばし、ベンチの背にもたれた。
「ぼく、やっぱり明日から店に出るよ。本店のほうに行ってみよう」
「あなたって、偉いのね」
「そうじゃないよ」と男はいった。「仕事に、逃げるっていう意味もあるさ」
「偉いわ、あなた」と、また女はいった。「私、男に生まれてこなくってよかった」
「ねえ良子。元気を出せよ。へこたれたら、へこたれたとたんに終りだってさ、人間は」
「じゃ、私はもう終りなのよ」
 女は、公園の道に目を落した。「笑われても、叱られても仕方ないわ。私にとって弘は、……そう、約束だったわね。やめるわ」
「まるで、君には弘がすべてみたいだ」男は笑顔をつくった。「でも良子、君はもともとこのぼくの妻なんだぜ。……弘の、母である前にさ」
 女は立上がった。岸壁のほうに歩いた。
 男が呼んでいるようだ。逆風で、よく聞きとれない。が、女は振り向かない。藍色の海は、かすかに沖が靄っている。
 海は動いている。きっともう、弘は海に溶けてしまっている。浪にさらわれてもう一月。たった満四歳の…

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