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怪奇一夕話
かいきいっせきばなし
作品ID59541
著者岡本 綺堂
文字遣い新字新仮名
底本 「綺堂随筆 江戸っ子の身の上」 河出文庫、河出書房新社
2003(平成15)年1月20日
初出「中央公論」1935(昭和10)年2月
入力者江村秀之
校正者山田順子
公開 / 更新2024-03-01 / 2024-02-19
長さの目安約 18 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 春の雑誌に何か怪奇趣味の随筆めいたものを書けと命ぜられた。これは難題であると私は思った。
 昔も今も新年は陽気なものである。お屠蘇の一杯も飲めば、大抵の弱虫も気が強くなって、さあ矢でも鉄砲でも幽霊でも化物でも何でも来いということになる。怖い物見たさが人間の本能であると云っても、屠蘇気分と新年気分とに圧倒されて、その本能も当分屏息の体である。その時、ミステリアスが何うの、グロテスクが何うのと云ったところで、恐らくまじめに受付けては呉れないであろう。同じグロならマグロの刺身でも持って来いぐらいに叱られるか、岡本もいよいよ老耄したなと笑われるか、二つに一つである。
 初春の寄席の高坐で「牡丹燈籠」を口演する者はない。春芝居の舞台に「四谷怪談」を上演した例を知らない。そう考えると、全くこれは難題であると思ったが、一旦引受けた以上、今更逃げるわけにも行かない。私が若い時、狂歌の会に出席すると、席上で「春の化物」という題を出された。これも難題で頗る閉口したが、まあ我慢して左の二首を作った。
春雨にさす唐傘のろくろ首けらけらけらと笑ふ梅が香
執着は娑婆に残んの雪を出でて誰に恨をのべの若草
 それでも高点の部に入って、いささか天狗の鼻を高くしたことがある。そこで、これから書く随筆まがいの物も、春は春らしく、前に掲げた狂歌程度で御免を蒙ろうと思う。百物語式の物凄い話は――と云っても、実はそんな怪談を沢山に知っているのでは無い。――秋の雨がそぼそぼと降って、遠寺の鐘がボーンと聞えて来るような時節までお預かりを願って置くことにしたい。
 なんと云っても、怪談は支那が本場である。日本に伝来の怪談は畢竟わが国産ではなく、支那大陸からの輸入品が多い、就ては、先ず支那を中心として、日本と外国の怪奇談を少しく語りたい。
 論語に「子は怪力乱神を語らず。」とある。この解釈に二様あって、普通は孔子が妖怪を信じないと云うように受取られているのであるが、又一説には、孔子は妖怪を語らないと云うに過ぎないのであって、妖怪を信じないと云うのではない。孔子も世に妖怪のあることを認めてはいるが、そんなことを妄りに口にしないのであるという。成程、そういえば然ういう風に解釈されないことも無い。「語らず」と「信ぜず」とは、少しく意味が違うように思われる。
 現にその孔子も妖怪に襲われている。衛にあるあいだに、ある夜その旅舎の庭に真黒な姿の怪しい物が現れたので、子路と子貢が庭に飛び降りて組み付いたが、敵はなかなかの曲者で、二人の手に負えない。そこで、孔子も燭を執って出て、そいつの鬚をつかめとか、胸を押えろとか指図した。それでようよう取押えてみると、怪物は巨大なる※[#「魚+弟」、U+9BB7、328-9]魚であったという。※[#「魚+弟」、U+9BB7、328-9]魚は鯰のような魚類であるらしい。大鯰はなんの為に…

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