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カピッツア争い
カピッツアあらそい
作品ID59604
著者中谷 宇吉郎
文字遣い新字新仮名
底本 「中谷宇吉郎随筆選集第一巻」 朝日新聞社
1966(昭和41)年6月20日
入力者砂場清隆
校正者きゅうり
公開 / 更新2021-02-15 / 2021-01-27
長さの目安約 2 ページ(500字/頁で計算)

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本文より


 カピッツア教授といえば、英才雲と群る英国ケンブリッジ物理学界でも錚々たるものであった。同教授はロシア人で一九二九年在外研究員としてケンブリッジへ派遣され、ラザフォード卿の下で強力磁場の作成にその非凡の能力を発揮するや、英学界は彼のために新研究所を作りその所長に任じたのである。
 彼が其処で作った三十万ガウスの磁場は、幾多の輝かしい研究を生んだ。そしてその研究の展開上液体ヘリウムを必要とするや、王立学会はさらに一万五千ポンドの巨費を投じて彼を助けた。カピッツアは新しく器械を考案して、従来のように液体水素を用いなくてもよい装置を作り、遂に昨年春それに成功した。その間彼は毎夏母国を訪い、講義や新研究所設立の指導をしていたのであるが、昨年九月帰国するや、ソビエト政府は彼の帰英の旅券を下付せず、彼の意志に反してモスクワに新設される研究所の所長に任じてしまった。
 ラザフォード卿が驚いて、タイムズ紙上に学者の人格尊重を説いて抗議したのに対し、ソビエト政府は大使館を通じてステートメントを発し、「カピッツアはソ国の市民で国家の費用で教育した者である。祖国は今その総ての科学者を必要とする秋である」といって断乎としてはねつけてしまった。カピッツア自身は今多年の研究が中途に挫折し、懊悩の極、痛く健康を害しているそうである。
 この話は英国が真理の探究のためには、一外国人にも如何に力を尽しているかということと、ソビエト政府が如何に科学の研究に精進しているかということをよく物語るものである。日本の場合ならばと一寸考えてみたが、カピッツアのような男はいないからまあそんな心配はしなくても良かろう。
(昭和十年五月)



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