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青蠅
あおばえ |
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作品ID | 59609 |
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著者 | ルヴェル モーリス Ⓦ |
翻訳者 | 田中 早苗 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「夜鳥」 創元推理文庫、東京創元社 2003(平成15)年2月14日 |
初出 | 「新青年」1923(大正12)年1月増刊号 |
入力者 | ノワール |
校正者 | 栗田美恵子 |
公開 / 更新 | 2021-10-05 / 2021-09-27 |
長さの目安 | 約 7 ページ(500字/頁で計算) |
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男は、死んだ女のそばに突立って、平然とその屍体を見まもった。
彼は眼を細めにあけて、大理石の石板に横えられた女の白い体と、胸の只中をナイフで無残に刳られた赤い創口とを見た。
屍体はすでに硬直しているにも拘らず、完全な肉附の美くしさは、まるで生きている人のようだ。ただその余りに蒼白くなった手の皮膚や、紫色に変色した爪や、かっと見ひらいた両眼、気味わるく歯を露わしている黯ずんだ唇――それ等のものが永久の眠りを語っているのだ。
石で床を鋪きつめたその不気味な広い室は、息窒まるような沈黙で圧つけられていた。屍体の傍には、今までそれを包んでいたらしい、血痕の附着した敷布があった。臨検の役人たちはそのとき一斉に、被疑者であるその男の方へ眼をつけたが、男は二人の看守に護られながら、しゃんと顔を擡げ、背ろへ両手を廻わして、相変らず傲然と突立っているのであった。
やがて判事が審問をはじめた。
「これ、ブルダン、お前は自分で殺したこの被害者を見知っているだろうな」
男ははじめて判事の方へ顔を向け、一生懸命に記憶を喚び起そうとして、死人の上に注意をあつめているらしい風であったが、
「まるっきり知らない女です。見かけたこともありません」
と落ちついた声で彼は答えた。
「しかし、お前がこの女の情夫であったということを、大勢の証人が申立てているではないか」
「証人の申立はみな違っています。まったく知らない女です」
「ようく考えてから答えるがいい」判事はちょっと沈黙したあとでいった。「われわれを誤魔化そうたって、そうは行かんぞ。今日の審問はほんの形式上のもので、これでお前の裁判が決定するというわけではない。お前は立派に教育のある男だ。寛大な判決を下して欲しいと思うなら、ここで自白する方が、お前の利益にいいだろうがなア」
「身に覚えのないことは、自白の仕様がありません」
「もう一度注意するが、強情を張ると利益にならんぞ。多分激昂して発作的に殺したんだろう。この屍体を御覧。この惨たらしい死態を見て気の毒とは思わんか。後悔もしないか」
「自分で殺しもしないのに、どうして後悔が出来ましょう。そりゃ私だって感情というものがありますから、死者を可憫そうだとは思います。しかしその憫むという感情も、此室へ入ればこんなものを見せられると予期したために、よほど薄らいで大方貴方と同じぐらいの程度になっています。これ以上に感動しろというのは無理なことで、もし感動しないのが悪いと仰しゃるなら、この光景を平気で見ておられる貴方を、反対に私が告発して差支ないという理窟になるではありませんか」
男は身振り一つするでもなく、まったく自分を制しきったもののように、落ちつき払った口調でこういった。峻厳な判事の訊問に対しても、この言葉で無難に切り抜けたように見えた。彼の唯一の対抗策は、只もう冷静に頑強に事実を否…