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空家
あきや
作品ID59610
著者ルヴェル モーリス
翻訳者田中 早苗
文字遣い新字新仮名
底本 「夜鳥」 創元推理文庫、東京創元社
2003(平成15)年2月14日
初出「夜鳥」春陽堂、1928(昭和3)年6月23日
入力者ノワール
校正者栗田美恵子
公開 / 更新2021-12-19 / 2021-11-27
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 錠をこじあけて屋内へ入ると、彼はその扉を要心ぶかく締めきって、じっと耳を澄ました。
 この家が空家であることは前から知っていたが、今入ってみると、寂然していてカタとの物音もないのと、あやめも分かぬ真の闇に、一種異様な気味わるさを感じた。一体、今夜のように、人がいてくれなければいいという願望と、そうした静寂の不気味さを同時に感じたということは、彼としてはこれまでに曾てない経験であった。
 やがて手探りで扉の閂をおろすと、少し安心して、衣嚢から小さな懐中電燈を出して四辺を照らしたが、闇を貫くその燈影は、胸の動悸に震えてちらちらした。
 彼は強いて勇気を出して、
「なアに、自分の家にいる心持さ」
 独りごとをいってにっと笑いながら、抜き足さし足で食堂の方へ入って行った。
 其室は、すべてのものが几帳面に整頓されていた。食卓にぴたりとつけて四脚の椅子が置かれ、更にもう一脚の椅子が、少し離れて、沢々しい箝木の床に影を落し、そして何処ともなく煙草と果実の匂いが仄かに残っていた。
 側棚の抽斗をあけると、銀の食器が順序よく置き並べてあった。
「こんなものでも無いよりは優しだ」
 そう思って、それらの銀器を衣嚢へねじこんだが、動くとそのフォークやナイフががちゃがちゃ鳴るものだから、空家で聞き手がないと知りつつも、その音のする度にどぎまぎした。そして今度は、琺瑯や、銀製の果実庖丁などの入っている函には手も触れずに、
「こんなものは、おれの目的じゃないんだ」
 自分の気怯れを弁護でもするように、ぶつぶついって、つま立ちをしてその棚を離れた。
 しかし相変らず躊躇いがちに、衣嚢の中で重い銀器を手探りながら、食卓のところに立ちどまって戸口から隣りの小室の方を覗きこんだが、厚い窓掛がおろしてあって真暗で何も見えなかった。彼は満身の勇気を奮いおこして、柄にもないこの気怯れに打克とうとした。そして結局夜遊びから自宅へ帰って来た男のような、気安い歩調でつかつかと隣室へ入って行った。
 と、不思議にも今までの恐怖心が忽然消えてしまった。
 古い櫃の上に枝付燭台が一つ載っているのを見ると、すぐにマッチを摺って蝋燭に火をつけてから、改めて室内の様子を見廻わした。壁には油絵や、金縁の写真などが懸けられ、床には家具やピヤノが置いてあって、暖炉棚の下からは、燃え滓や煤の臭いがぷんと来た。彼は卓上の書類を摘んでみたり、銀の置き物をちょっと持ちあげて重さを量ったりした。そしてもう一度室内を見廻わしてから、枝付燭台を卓子の上へおいてふっと吹き消すと、奥の寝室の方の戸をあけた。
 彼は少しもまごついた風がなかった。というのは、四、五日前に、貸家になっていた此家の間取りを見るふりをして、家具調度や、それらの置かれた位置をすっかり見とどけておいたのである。
 職業的に慣れた彼の目で一ト目見ると、屋主の老人が重要…

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