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犬舎
いぬごや
作品ID59612
著者ルヴェル モーリス
翻訳者田中 早苗
文字遣い新字新仮名
底本 「夜鳥」 創元推理文庫、東京創元社
2003(平成15)年2月14日
初出「新青年」1923(大正12)年3月号
入力者ノワール
校正者栗田美恵子
公開 / 更新2021-11-07 / 2021-10-27
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 十一時が鳴ると、アルトヴェル氏は麦酒の最後の一杯をぐっと飲み乾し、ひろげていた新聞をたたんで、うんと一つ伸びをやって、欠伸をして、それからゆったりと起ちあがった。
 吊り飾燈の明るい光りは、弾丸や薬苞の散らばっている卓布の上をあかあかと照らしていた。そして暖炉のそばには、肱掛椅子に深々とうずまった婦人の横顔がくっきりと影絵のように見えていた。
 屋外では、はげしく吹き荒れている風が窓をゆすぶり、しぶきはその窓硝子を騒々しく叩いて、ときどき犬舎の方から犬どものウウと唸る声が聞えた。犬どもはその日朝から終日騒ぎ立っていたのであった。
 その犬舎には、四十頭からの猛犬が飼ってあって、口元の不気味な巨犬や、ヴァンデイ産の毛のもじゃもじゃした粗毛猟犬など、いずれも猟に伴れてゆくと、獰猛な勢いで野猪に喰いつく奴等である。そして夜になると彼奴等の猛しい唸り声を聞いて、遠近のさかりのついた野良犬や、狂犬どもが盛んに吠え立てるのだ。
 アルトヴェル氏は、窓掛をあげて、真暗な庭園の方を覗いてみると、濡れた樹々の枝は刃のように光り、秋の木の葉が風に吹きまくられて、ばらばらっと壁を打った。
「厭な晩だな!」
 彼は呟くようにいった。そして両手をかくしに突込んだまま、五、六歩あるいて暖炉の前に立って、燃えさしの薪を靴の爪尖で踏みつけると、真赤な焚きおとしが灰の上にくずれて、新らしい焔がまっすぐに尖がって燃えあがった。
 夫人は身じろきもしない。薪の火光は彼女の顔を照らし、頭髪を金色に染め、その蒼白い頬を生々した薔薇色に見せ、彼女の周囲をちょろちょろとダンスをやりながら、額や、眼瞼や、唇のあたりに気まぐれな陰影を投げかけた。
 一時ひっそりしていた猟犬が、また吠えだした。その吼声と、風の呻りと、樹々を打つ雨の音を聞くと、静かな室の内部が一しお暖かそうに思われ、そこにじっと黙している婦人の姿が、何となく懐かしい感じをさえも与えるのであった。
 アルトヴェル氏は少し変な気持になって来た。猟犬どもの暴れもがく声と室の暖もりとで唆られた或る情慾が、だんだん体内にひろがって来た。で、彼は夫人の肩を軽く押えて、
「もう十時だよ、寝ようじゃないか」
「ええ」
 彼女は残り惜しそうに椅子を離れた。
 アルトヴェル氏は、暖炉の薪架に片足をかけて、もじもじしながら傍をむいて低声でいった。
「お前の寝室へ行っていいだろう」
「駄目よ、今夜は」
 アルトヴェル氏はしかめっ面をして、しかし一寸腰をかがめて、
「御随意になさいだ」
 彼は両脚をひろげて肩で暖炉棚へもたれたまま、夫人の出て行くうしろ姿をじっと見送った。夫人はいかにも優美な、なよなよした身のこなしで、衣物の裾がさざ波の動くようにさやさやと絨毯の上を辷っていった。それを見ていると、彼は癇が高ぶって来て、あらゆる筋肉が鯱こばるのを感じた。
 アルトヴェ…

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