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誤診
ごしん
作品ID59614
著者ルヴェル モーリス
翻訳者田中 早苗
文字遣い新字新仮名
底本 「夜鳥」 創元推理文庫、東京創元社
2003(平成15)年2月14日
初出「新青年」1926(大正15)年9月号
入力者ノワール
校正者栗田美恵子
公開 / 更新2021-11-24 / 2021-10-27
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

「先生」
 とその男はいった。
「僕に結核があるかどうか、御診察の上で、包みかくしのないところを仰しゃって下さい。大丈夫ですよ、僕は確かりしています。どんな診断を聞かされたって平気なもんです。第一、先生はぶちまけていって下さる義務があります。それに、僕は自分の病状を知っておく権利があると思う。ですから是非聞かして頂きたいんです」
 ドクトルは一寸ためらったが、肱掛椅子を退らかして、火の燃えさかっている暖炉の棚へ倚りかかりながら、
「承知しました、着物をお脱ぎなさい」
 そして患者が服を脱いでいる間に、問いをかけた。
「衰弱を感じますか。寝汗はどうです……朝、明け方にはげしい咳が出るようなことがありませんか……御両親はお達者ですか。うむ、何病でお亡くなりでしたかね……」
 患者はやがて上半身だけ裸になって、
「さア仕度が出来ました」
 ドクトルは打診をはじめた。患者はその打診音の一つも聞きもらすまいと踵をそろえ、両腕をさげ頤をつき出して、耳を澄ました。ひっそりとした室の中にその指の音が鈍い音調でひびいた。
 それから長い念入りな聴診をやったが、それが済むと、ドクトルは笑いながら軽く男の肩をたたいていった。
「着物をきてよろしい。貴方はえらい神経家ですね。だが保証します、何処も何ともない。些とも悪いところはない……どうだね、これで満足しましたか」
 服を着かけていたかの男は、両腕をあげたまま、シャツの前穴から顔を出したところだったが、薄笑いをうかべながら屹度ドクトルを睨みつけて、
「ええええ、大満足」
 彼はそれっきり黙って着物を着てしまったが、ドクトルが卓子に向って処方を書いているのを見ると、
「そんなものは要りません」
 と手真似で制めて、かくしから取りだした一ルイの金貨を卓子の隅においた。それから彼は坐りこんで語りだした。声は少しふるえを帯びていた。
「さてお話がある。外でもありませんが、今から一年前に一人の患者がここへやって来て、僕が今いったように、ぶちまけて真実のことを教えて下さいとお願いしたんです。そのとき貴方は診て下さったが――随分ぞんざいな診察でした――そしてその患者に、結核でしかも非常に手重いと宣告しましたね。いや弁解しなさんな、僕は嘘はいわない。それから貴方は、結婚も可けないし、子供は尚更生んでならんと云ったではありませんか」
「左様かなア、私は思い出せないが」とドクトルはつぶやいた。「そんなことがあったかも知れん。何しろ大勢の患者なんだから。しかし貴方は何でそんなことを問題にするのかね」
「何を隠そう僕がその患者だったのです。独り者といったのは嘘で、僕はすでに妻子をもった一家の主人でした。あのとき僕が帰ったあとで、貴方は僕のことなんか考えても見なかったんでしょう。貴方から見れば僕なんかは、毎年肺病で死んでゆく何千という惨めな患者の一人に過ぎ…

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