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ちち
作品ID59618
著者ルヴェル モーリス
翻訳者田中 早苗
文字遣い新字新仮名
底本 「夜鳥」 創元推理文庫、東京創元社
2003(平成15)年2月14日
初出「夜鳥」春陽堂、1928(昭和3)年6月23日
入力者ノワール
校正者栗田美恵子
公開 / 更新2022-02-13 / 2022-01-28
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 最後の一耘の土を墓穴へかぶせてしまって、お終いの挨拶がすむと、父子はゆったりした歩調で家の方へ帰って行ったが、その一歩一歩がひどく大儀そうであった。二人とも無言で歩いていた。長い混雑の後に起るくたびれが急に出てきて、物をいうさえもおっくうだった。
 家へ帰ってみると、柩に供えた花の香気が、まだそこいらに残っていた。この数日来、多数の人の出入りやら悲歎やらで込合っていたが、今は家の中が静閑とがらんどうになって、妙に改たまった感じがするのであった。
 年老った女中が一足先きに戻って、後片付をすましていた。父子は、まるで長旅からでも帰って来たような気がした。そのくせ、帰りつくなりほっとして『ああ自分の家ほどいいところがない』というような、晴れ晴れした気持にはなれなかった。
 しかし家の中の体裁は、前と少しも変ったところがなく、飼猫は例のごとく炉辺にうずくまって、ごろごろ喉を鳴らしており、そして冬の日射しが柔かく窓硝子を染めていた。
 父親は炉のそばに腰をおろし、首をふって溜息をつきながら、
「可憫そうだったな、お前のお母さんは」
 そういったかと思うと、涙が一杯に湧いてきて、歎きと、街の冷たさと、室内の急な暖かさで赤くなったその好人物らしい丸顔を伝わって、はらはらと流れた。
 彼は暫く黙りこんで、猫の喉鳴きや、時計のチクタクや、火皿の上に薪のはねる音を聞いていたが、何だか物足りない。それ以上にもっと何かを聞きたいような心持だ。けれどまた一方には、死んだ者は永久に死んでしまったが、自分は幸いにまだ生きているという、一種の満足に似た感じを意識しながら、倅の方へ話しかけた。
「お前はジュポン家の人達に会ったかい。野辺送りに来ていたがな。あの御老体も来てくれたので、ほんとうに難有かったよ。お前のお母さんは彼家の人達が大好きだったんだ。ときに、お前の友達のプレマールは来ていたかい。多分来てくれただろうが、あのように大勢になると見分けがつかんもんだな」
 父親は再び吐息をついて、
「ああ、お前も可憫そうだな」
 二十五にもなったこの大きな倅のことを考えると、彼は一層やさしく、いたわるような気持になった。そして憂鬱な眼つきで、薪の燃えるのをじっと見つめていた。
 倅は父親のそばに黙然と坐っていた。
 そのとき、老女中が音もなく戸をあけて、静かに入って来た。
「御両人さま、そう沈んでばかりいらしては困りますね、御夕食を召上らなければいけません」
 父子は顔をあげた。
 なるほど有理なことだ。食事をせねばならぬ。生活は元どおりにつづけてゆかねばならぬ。気持よい空腹を感じながら、心づくしの食卓につくことが楽しみだった以前とはちがって、今のは、単に胃腑が空っぽになった動物のひもじさに過ぎないけれど、とにかく腹は空っていた。が、場合が場合なので、腹が空ったというようなことを明らさまにい…

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