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生さぬ児
なさぬこ
作品ID59620
著者ルヴェル モーリス
翻訳者田中 早苗
文字遣い新字新仮名
底本 「夜鳥」 創元推理文庫、東京創元社
2003(平成15)年2月14日
初出「新青年」1926(大正15)年4月号
入力者ノワール
校正者栗田美恵子
公開 / 更新2022-03-09 / 2022-02-25
長さの目安約 12 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 男は腰掛に腰を据え卓子に片肱ついて、肉汁をさも不味そうに、一匙ずつのっそりのっそりと口へはこんでいた。
 女房は炉のそばに突立って、薪架の上に紅く燃えてパチパチ爆ねる細薪をば、木履のつま尖で蹴かえしながら頻りに何か話しかけたが、男はむっつり黙りこんでいて滅多に返事もしない。
「シャプーの家では、あの老ぼれの牝鶏を皆んな片づけたって、真実かね? それからリゾアの家では、乳酪がすっかり溶けてしまったっていうじゃないの」
「そんなことをおれが知るもんか」
 と男は顔もあげずに、口の中でいった。
「それはそうと、お前さん、仕事の方はどうだったの。好い手間になって?」
「何を云うんだい」
「あら、大層御機嫌がわるいのね。何うしたっていうの」
 男は匙をおいた。そして両腕をつきだし、卓子の上に拳骨を構えて、大きな小麦袋でも抜き取ろうとする時のように、ふうっと深い溜息を一つ吐いたが、
「それはな……それはな……」
 と云いかけてふと口を噤んだ。そして一度押しのけた皿をまた手許へひきよせ、麺麭を小さく切ってからナイフを閉めて、それから手の甲で口を押拭いながら、
「何でもねえんだよ」
「お前さん、何か怒ってるんだね」
「何でもねえよ、煩さいっ」
 二人は沈黙した。外では雨が屋根瓦をたたき、風は樹々の枝に吹き荒れて、煙突にまでも呻りこんでいた。炉の火は威勢よく燃えさかり、その大きな焔の舌がへらへらと壁に舞いあがっていた。
「スープはもう済んだの? もっと何かあげようか」
 男は首をふって、
「沢山だ」
 素気ない返事をして、眼をしばたたいていた。女房は何だかじっとしていられないといった風で、また村の噂話しをやりだした――まるで何ヶ月も家を空けて村の噂をば何くれと聞きたがる人にでも物をいうような調子で、
「お前さん知らないの? ウールトオの家の犬ね、あの大かい赤犬よ。彼犬が狂犬になったんだとさ。それでね、射殺そうとして鉄砲を取りに行っているうちに、彼犬が逃げだして、それっきり何処へ行ってしまったのか、誰も見かけた者がないっていうのよ」
 男は知らん顔で口笛を鳴らしていた。と、女房は口惜しがって、
「お前さん、余りじゃないの、一体どうしたっていうんだろう。また居酒屋へ寄ったね。いつも帰って来ると上機嫌で饒舌をするのに、今日に限ってうんともすんとも云わずに、黙アって坐りこんで、毒でも食べるように不味そうに夕食を食べてさ。それに、坊やが何うしたと一言訊くでもなし……」
 すると、男はゆったりと女房の方へ向き直り、その眼の中を真正面に見すえて、
「お前は背高のジャッケと久しく会わないだろうな」
 そのとき薪が一本、馬鹿にパチパチ爆ねて炉の口の方へすべりだしたのを、女房は木履のつま先で蹴かえしながら、もじもじして、
「背高のジャッケ? 会わないわ。それが何うしたのさ」
「先刻此家へ来てい…

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