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二人の母親
ふたりのははおや
作品ID59621
著者ルヴェル モーリス
翻訳者田中 早苗
文字遣い新字新仮名
底本 「夜鳥」 創元推理文庫、東京創元社
2003(平成15)年2月14日
初出「夜鳥」春陽堂、1928(昭和3)年6月23日
入力者ノワール
校正者栗田美恵子
公開 / 更新2022-02-03 / 2022-01-28
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

「坊ちゃん、いくつ?」
 通りがかりの老紳士が問いかけると、
「四つ」
 砂いじりに夢中になっていた男の子が答えた。
「名前は何ていうの」
「ジャン」
「苗字は?」
「ジャン」
「それだけじゃ、わからないね」老紳士は莞爾して、「ジャンという名前の子供は沢山いるからね。お父さんの苗字は何というの」
「僕、ジャンていうのよ」
 と子供は無邪気に紳士の顔を見あげた。
 そのとき、傍の共同椅子で縫ものをしていた一人の女が、仕事を膝の上へおきながら、
「この子はジャンという名前でございますの。苗字はございません」
 言葉の調子が悲しそうで、何となく愁いに窶れた顔をしていた。
 老紳士は気の毒になって、ちょっと帽子をあげて詫言をいうと、彼女は首をふって、
「いいえ、どういたしまして……坊や、此処へいらっしゃい」
 子供を傍へひきよせ、頭を軽く撫でて額にキスをしてやってから、
「さア、彼方へ行ってお遊び、少し駆けて御覧」そういって再び仕事を取りあげながら、「何といっても、子供は活溌に駆け廻るのが、体のために一等でございますのね」
「それはそうですとも。失礼ですが、あなたのお子さんですか」
 女は黙ってうなずいた。
 老紳士は駆けてゆく子供をじっと見送っていたが、
「よく似ておられますね」
 女はかすかに手先がふるえた。と思うと針の手を休めて、
「ほんとうに似ているでしょうか」
「ええ、あなたに似て可愛い坊ちゃんです。もっとも、あのくらいのときは漠然と似ている場合が多いので、細かい特徴になると、お父さんと較べてみなければわかりませんがね」
 女は如何にもといったようにもう一度うなずいて、それから沁々と語りだした。
「実は彼がわたしの子かどうか、わかりませんのです。こう申しますと、そんな馬鹿なことがあるものかと仰しゃるか知れませんが、事実ですから仕方がありません。何もかも運命でございます。ときどき、わたしは彼が父親かわたしかに似ている点を見つけだそうとして、しげしげとあの小さな顔を見つめますの。また時としては、そんな迷った考えは断然捨ててしまわねばならぬと思いまして、じっと眼をつぶることもございます。
 あの子は千九百十八年の四月に、産科病院で生れました。恰度戦争の真最中で、独逸の軍隊が遠くから巴里を砲撃しているときでした。わたしの外にもう一人産婦が同じ産室に入っておりましたが、その二人が殆んど同じ時刻に、どちらも男の子を産みおとして、間もなく、敵の砲弾がわたし達の寝台のすぐ傍で破裂したものですから、それはひどい騒ぎでございました。
 産科病院では、お産がありますとすぐに、母親の寝台の番号を書いたものを赤ん坊の腕へまきつけることになっています。そうしませんと、生れたての赤ん坊は大てい同じで、見わけがつかなくなるからです。ところがわたし達の場合は、今申したように、お産の後始末も…

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