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老嬢と猫
ろうじょうとねこ
作品ID59625
著者ルヴェル モーリス
翻訳者田中 早苗
文字遣い新字新仮名
底本 「夜鳥」 創元推理文庫、東京創元社
2003(平成15)年2月14日
初出「新青年」1927(昭和2)年6月号
入力者ノワール
校正者栗田美恵子
公開 / 更新2022-03-31 / 2022-02-25
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 その老嬢は毎朝、町の時計が六時を打つと家を出かけた。
 それは最初の弥撒を聴くために、近所の教会堂へ出かけるのだが、彼女はまず注意ぶかく戸じまりをしてから、どの頁も手垢によごれて隅がぶよぶよになった、古い祈祷書をしっかと抱えて、小急ぎに街を通ってゆくのであった。
 教会堂へつくと、殆んどがら空きな脇間の祈祷台に膝まずいて、両手を組み合せ頸をふりふり、牧師の声に合せて低声でお祷りをした。そして勤行がすむとさっさと帰って行くのだった。
 彼女は痩せ面で、いかにも片意地らしい額の、顳[#挿絵]のあたりはもう小皺だらけのくせに、凹んだ眼の底には、或る不思議な情熱が燃えているようであった。
 彼女は静かに珠数の珠を算えながら、鋪石に跫音一つ立てないで歩いて行った。傍へ寄ると何となく香や湿った石の匂いがした。長年教会へ通いつめているので、納骨堂や祭具室の冷たい匂いがその衣類にまで浸みこんでしまったのであろう。
 彼女は独りぽっちで、郊外の家に住まっていたが、そこには流行おくれの調度をならべ、壁に先祖達の古い肖像画だの、神聖な絵像などを懸けつらね、年老って痩せこけた灰色の牝猫が唯一の伴侶で、彼女はそれをプセットと呼んでいた。
 この猫は、終日寝そべって居眠りをしながら、蠅の飛ぶのをぼんやりと眺めたり、時たま起ちあがっては、風で窓硝子へぶっつかる落葉を狙ったりして、日を暮らしているのであった。
 この老猫と老嬢は、お互いに理解し合っていた。何方もこうした隠者くさい生活が好きで、長い夏の午後なんか、鎧戸を閉めて、窓布をおろした室の中に寂然と引籠っていた。街は危険だらけのように思われて恐ろしいからであった。
 人がその小路を通るとき、老嬢は鎧戸の隙間から、跫音の遠くなるまで覗いているのが常であった。猫はまた猫で、他の猫がやって来ると、頸を伸ばし三本足で延びをして、ひょいとはぐれてしまう。
 そうすると他の猫は手持不沙汰に戸の前へしゃがんで、大きく頭を振りながら、自分の体を舐めずり廻わしたり、或はあわてて換気窓から辷るように逃げだすのであった。
 この老猫のプセットだって、曾ては、静寂と動かぬ樹々すらも恋に浸っているような生温かい晩など、他の牡猫のおぼろな影が屋根のあたりにちらほらすると、庭の方へ顔をつき出して声を合せながら、その切なる誘いに興奮した体をしきりに椅子の脚へすりつけたりしたこともあったものだ。
 そんなとき、老嬢はプセットをいきなり自分の室へ押しこめて、窓から他の猫を憎さげに怒鳴りつけた。
「しっ、彼方へ行け、彼方へ行け」
 すると鳴き声ばかり聞えて、影は一瞬間じっとしているが、再び動きだそうとすると、老嬢はまた鎧戸をしめ窓布をおろし、寝床へちぢこまって、猫をば夜具の下へかくして、外の声を聞かせぬようにして、そして眠つかせるために頭を撫でてやるのであった。
 老嬢…

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