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城を守る者
しろをまもるもの
作品ID59686
著者山本 周五郎
文字遣い新字新仮名
底本 「戦国武士道物語 死處」 講談社文庫、講談社
2018(平成30)年7月13日
初出「講談雑誌」博文館、1942(昭和17)年8月号
入力者Butami
校正者noriko saito
公開 / 更新2021-07-21 / 2021-07-08
長さの目安約 19 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



「甲斐のはるのぶと槍を合せることすでに三たび、いちどはわが太刀をもって、晴信を死地に追いつめながら、いまひと打ちをし損じて惜しくものがした」
 上杉輝虎は、けいけいたる双眸でいち座を見まわしながら、大きく組んだよろい直垂の膝を、はたと扇で打った。
「だが、このたびこそは、勝敗を決しなければならぬ。うちつづく合戦で民のちからは衰え、兵もまた労れた。いたずらに甲斐との対陣をながびかすときは、思わぬ禍が足下からおこるとみなければならぬ。善くも悪くも、このたびこそは決戦のときだ、このたびこそは勝敗を決するのだ」
 かれの声は、館の四壁をふるわして響きわたった。
 弘治三年(一五五七)七月、越後のくに春日山の城中では、いま領主うえすぎ謙信を首座として、信濃へ出陣の軍議がひらかれていた。集っているのは上杉の四家老、長尾越前政景、石川備後為元、斎藤下野朝信、千坂対馬清胤をはじめ、二十五将とよばれるはたもと帷握の人々であった。……上杉と武田との確執について、ここに精しく記す要はあるまい。「川中島合戦」といわれる両家の争いは天文二十二年(一五五三)から永禄七年(一五六四)まで、十年余日にわたってくりかえされたものであるが、このときはその四たび目の合戦に当面していたのである。
「さればこのたびは全軍進発ときめた」
 輝虎はつづけて云った。
「留守城の番はいちにん、兵は五百、余はあげて信濃へ出陣をする。したがって留守城番に誰を置くかということは」
「申上げます」
 とつぜん声をあげて、石川備後が座をすすめた。
「仰せなかばながら、わたくしは信濃へお供をつかまつりまするぞ。留守番役はかたくお断わり申します」
「越前めも、留守役はごめんを蒙ります」
 長尾越前がおくれじと云った。するとそれにつづいて列座の人々がわれもわれもと出陣の供を主張し、留守城番を断わると云いだした。もっとも善かれ悪かれ決戦ときめた戦である、誰にしてもこの合戦におくれることはできないにちがいない。みんな肩肱を張って侃々とののしり叫んだ。
 輝虎はだまっていた。いつまでもだまっているので、やがて人々はだんだんとしずまり、ついにはみんなひっそりと音をひそめた。
 そこで輝虎はあらためて一座を見まわし、よく徹る澄んだ声で云った。
「おれから名は指さぬ。しかし誰かが留守城の番をしなければならぬのだ。誰がするか」
「……わたくしがお受け申しましょう」
 しずかに答える者があった。みんなあっといった感じで声の主を見やった。それは四家老のひとり、千坂対馬清胤であった。すると列座の人々はひとしく、ああ千坂どのか、という表情をし互いに眼と眼でうなずき合った。
「そうか、対馬がひき受けるか、ではこれで留守はきまった」
 輝虎は、そう云って座を立った。
 人々は自分が留守役になることはあたまから嫌った。それにも拘わらず千坂対馬が…

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