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幸田文さんと神仙道
こうだあやさんとしんせんどう
作品ID59778
著者中谷 宇吉郎
文字遣い新字新仮名
底本 「中谷宇吉郎随筆選集第三巻」 朝日新聞社
1966(昭和41)年10月20日
初出「幸田文全集第六巻月報」中央公論社、1959(昭和34)年1月
入力者砂場清隆
校正者木下聡
公開 / 更新2021-10-31 / 2021-09-27
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より


 私は、小林勇君につれられて、二回ばかり小石川のお宅へ伺い、露伴先生にお目にかかったことがある。文さんにも、その時初めて会った。
 露伴先生は、科学に非常に興味をもたれ、というよりも、先生自身が高次元の科学者であったという方がよいかもしれないが、私などの話にも、熱心に耳を傾けられた。その話は『露伴先生と科学』に一度書いたことがある。
 私には、露伴先生が、明治以後の日本では、独自の人のように思われる。博学とか偉大さとかいう問題には触れない。古代東洋の神仙道の精神が、先生の心の奥に潜んでいるように思われるからである。もっとも本当は、神仙道のことなどは、何も知らなかったので、先生の文章によって、それを教えられたのである。
 神仙道は魔術や幻術ではなく、神秘への憧憬を基調にもった厳しい自己完成である。そして驚くべきことには、その精神は文さんにも遺伝しているようである。
 それを初めて感じたのは、文さんの初期の文章で、露伴先生の臨終を書いたものである。生命が肉体を離れて行く時の人間の眼。おびえた文さんが、外の空気を吸おうと、雨戸を開けると、真暗な大気の中で、何か蜘蛛の巣のようなものが、べたべたと顔にかかる。
 文さんが文章を書くなどということは、夢にも考えていなかったので、露伴先生のこととして、何気なく読んでいた。しかしこの場面へ来たときには、思わずぞうっとした。そして露伴先生の神仙道は、文さんに引きつがれている、と感じた。
 非常に驚いたので、あの小冊子の書評を、読売新聞だったかに書いたが、その題を「露伴の娘」とした。あとから聞いた話では、文さんは、露伴の娘といわれることを、非常に嫌っているそうである。しかしそれはいくら嫌いでも、仕方がない。今頃、神仙道の心を残存している人は、ほとんどいないであろう。文さんは、露伴の娘以外の何者でもない。
 文さんの文章を評するのに、いろいろな表現が為されている。格調が高いとか、折り目正しいとか、漢文のもつ簡潔美があるとか、いろいろにいわれているが、それ等は、神仙道のもつ厳しい自己完成の面である。
 それからよく鏡花に通ずるところがあるともいわれる。或いは予知とか潜在意識とかいう微妙な世界につらなっている、という批評もきく。これ等は明らかにいわゆる東洋の神秘性に通ずるものである。この神秘性は、古代東洋の心であって、神仙道によって培われたもの、というよりも、神仙道が其処から生まれてきたものであろう。
 文さんは美しい人で、姿も非常によい。ああいう人を神仙道などというと、ファンの人には怒られるかもしれない。しかし私には、どうもそういう感じがする。
(昭和三十四年一月)



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