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御馳走の話
ごちそうのはなし
作品ID59780
著者中谷 宇吉郎
文字遣い新字新仮名
底本 「中谷宇吉郎随筆選集第三巻」 朝日新聞社
1966(昭和41)年10月20日
初出正月の御馳走「東京新聞」1954(昭和29)年1月<br>感謝祭の七面鳥「山陽新聞」1954(昭和29)年11月
入力者砂場清隆
校正者木下聡
公開 / 更新2022-06-24 / 2022-05-27
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

一 正月の御馳走

 正月の御馳走というと、いつでも思い出す話がある。それは小林勇君が、露伴先生から聞いた話である。
 大分前のことであるが、或る正月に、小林君が露伴先生のお宅を訪れたときの話である。多分昆布巻、数の子、田作という、昔ながらの品々が、膳の上に並んでいたのであろう。それをつまみながら、例によって無遠慮な男のことであるから、「正月の御馳走といえば、どうしてこう不味いものばかりなんでしょうね」と聞いたというのである。そしたら先生が「そうじゃないよ。これが昔は御馳走だったんだよ」といわれたそうである。
 この話を聞いて、すぐ頭に浮んだのは、私たちが子供時代に食べていた食い物のことである。北陸の片田舎のことであるから、ふだんは、ずいぶん貧しいものを食っていた。それで、黒い昆布巻、黄色い数の子、紅を塗ったはんぺん、輪切りにした蜜柑などが、重箱の中にいっぱい並んでいるのは、いかにも綺麗であった。母がその重箱を持ってきて、皆の前で蓋を取ったとたんに「ああ、綺麗だな」と子供心に思ったことを、今頃になって思い出した。
 正月の料理はあれでなかなかよくできているので、昆布には沃素と加里があり、田作にはカルシウムと燐がある。蜜柑はビタミンCの補給源で、はんぺんは魚肉蛋白質の最良の保存食品である、などとこの頃よくいわれる。
 一方、社会学や民俗学風な説明では、日本の田舎における「嫁」の立場が論ぜられる。せめてお正月くらいは、少し身体を楽にさせるために、ああいう保存食品の形式が生まれ出たので、非常に賢明な風習であるという流儀の議論がそれである。
 いずれも真相をそれぞれにとらえた論であるが、露伴先生のさりげない一言「あれが昔は御馳走だったんだよ」というのも、何となく心に沁みる言葉である。もっともこれは、一昔前の日本、とくに田舎での庶民の生活を味わった者でないと、そう深い感じは受けないかもしれない。
 昆布巻にしても、数の子にしても、あれでなかなか美味いものであるが、現在の都市生活者にとっては、まず御馳走の部類にははいらない。何といっても、生きた伊勢蝦の刺身、鯛のうしお、鰻の蒲焼などというものとくらべては、一段下におかれても仕方がない。両方とも品質の水準を同じとしての話である。ふるくなって、少し匂いのついた鯛と、一級品の数の子とくらべれば、別の話になる。
 それで思い出したが、現在「ごちそう」といわれているものは、ほとんど全部、生鮮食品であって、しかも極めて鮮度の高いものである。蝦の刺身、鰻、スッポンなどが、その極端な例で、みな生きているものを料理しなければならない。
 これはずいぶん贅沢な話である。こういう材料を、生かしたまま運び、客の注文があって初めて料理するというのは、たいへんな人手を要する話である。生きもの相手の場合は、手をあけて待つ時間が多く、それも勿論人手の中…

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