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『死者の書』
『ししゃのしょ』
作品ID59781
著者中谷 宇吉郎
文字遣い新字新仮名
底本 「中谷宇吉郎随筆選集第三巻」 朝日新聞社
1966(昭和41)年10月20日
初出「西日本新聞」1955(昭和30)年8月
入力者砂場清隆
校正者木下聡
公開 / 更新2022-02-11 / 2022-01-28
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より


 遠い大昔、まだ死者が蘇ったり、化身の人が現われたり、目に見えぬ鬼神と人間との間に誓が交されたりした時代。そういう時代は、もう返って来ないであろう。しかしそういう時代への人間のあこがれは、いつの世になっても、全く消え果てるものではなかろう。そういう意味で折口信夫氏の『死者の書』は、いつまでも生命があるもののように思われる。藤原南家の郎女中将姫の伝説を小説化したもの、というよりも長詩と言った方がよいが、あの時代の人のこころが直接に感得されるような気がして、何度読んでも夢はますます美しくなる。
 理性と感性との分離もまだ出来ていなかった古代人の心理は、歴史書からはもちろん覗けない。古代を舞台にとった小説も、所詮は近代人の描いた未開人の絵である。古代人のこころは「説明」では現わせない。折口さんのこの書は、古代に関する深い学識をもった優れた詩人、という稀な人がつくった、稀な書であるように、私には感ぜられる。
 初めに、滋賀津彦のよみがえりの場合と、郎女の魂呼いの場面とが出て来る。この二節を読んだだけで、もう語部の媼のいた時代の当麻の里に、読者は引き入れられてしまう。
 二上山の男嶽女嶽の間から、当麻路が、白々と広く降って来る。「月は、依然として照っていた。山が高いので、光りにあたるものが少なかった。山を照し、谷を輝かして、剰る光りは、また空に跳ね返って、残る隈々までも、鮮やかにうつし出」している。深夜である。
「こう こう こう
 鳥の夜声とは、はっきりかわった韻を曳いて来る。声は、暫らく止んだ。静寂は以前に増し、冴え返って」来る。この時、当麻路を降って来るらしい影。「二ツ三ツ五ツ……八ツ九ツ。九人の姿である」「九人と言うよりは九柱の神であった。白い著物、白い鬘、手は、足は、すべて旅の装束である。
 こう こう こう。 ……
 こう こう。お出でなされ。藤原南家郎女の御魂。……」
 此処が偶々滋賀津彦の塚の前だったので、この魂呼いの行者たちは、滋賀津彦のためにも、魂呼いの行をする。その声に和して、おおう……と、「塚穴の深い奥から、冰りきった、而も今息を吹き返したばかりの声」が聞えて来る。郎女は、彼岸の中日、二上山の日の入りに、西国浄土の仏の姿を見る。その幻にひかれて、姫は万法蔵院まで彷い出て、結界を犯した償いに、其処にとどまる。そして化尼に導かれて蓮糸の曼陀羅を織る。
 筋はほとんど無いような小説であって、天若日子の伝説、彼岸中日の「野遊び」、日相観など、いわば古代の幻想が、説明の形をとらないで、直接感得されるような長詩である。



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