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人工衛星へ汲取舟が行く話
じんこうえいせいへくみとりぶねがいくはなし |
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作品ID | 59784 |
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著者 | 中谷 宇吉郎 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「中谷宇吉郎随筆選集第三巻」 朝日新聞社 1966(昭和41)年10月20日 |
初出 | 「毎日新聞」1957(昭和32)年12月 |
入力者 | 砂場清隆 |
校正者 | 木下聡 |
公開 / 更新 | 2022-07-14 / 2022-06-26 |
長さの目安 | 約 2 ページ(500字/頁で計算) |
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本当に人間が住める人工衛星が、いつごろ出来るかは、いまのところまだわからない。しかし十年ぐらいのうちには出来るだろうというのが、一般の見通しになっている。数年の誤差はあっても、いずれ出来るには、ちがいない
ところでそうなった時に、一番困るのは排泄物の処理である。小便の方は再生して純水をとり、それを水として使うとしても、カスが出る。それと大便とは、何とかして捨てなければならないが、人工衛星の軌道の上では捨てるところがない。
重力のないところでは、ものを捨てても、そのままいつまでも目の前に浮いている。そんなものがいつまでも窓の外に浮いていられては困る。爆薬をしこんで、外で爆発させても、そのチリは軌道に近いところを宇宙塵となって回ることであろう。地球のまわりに、そんなもので「土星の環」ができるのは、どうもありがたくない。
それでは小さいドラムかんにつめて、小型ロケットをつけて放り出し、軌道速度と逆の方向に噴射させたらということも考えられる。そうすれば速度が落ちるので、ドラムかんは軌道をはずれ、地球に向って落ちてゆく。そして大気圏にはいると、流星となって燃えてしまう。これもどうも、何となく後味の悪い案である。中秋の明月の晩、月をめでていると、スーッと流星がとぶ、これがあれだと思うと、月見の宴もだいぶ興がそがれるであろう。
一番よいのは、地球へもって帰って捨てる案である。どうせいろいろな物資を補給するための宇宙ボートが、人工衛星へものを届けるにちがいない。その帰りに持って帰ってもらうのが一番簡単である。帰りは汲取舟になるわけである。
宇宙時代になっても、やはり汲取舟は必要だというのが、人間なのである。
(昭和三十二年十二月)