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美と科学
びとかがく
作品ID59795
著者中谷 宇吉郎
文字遣い新字新仮名
底本 「中谷宇吉郎随筆選集第三巻」 朝日新聞社
1966(昭和41)年10月20日
初出「母のくに」1958(昭和33)年6月
入力者砂場清隆
校正者木下聡
公開 / 更新2024-07-04 / 2024-07-01
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 美しいという言葉を、人々はふだん何気なくつかっているが、考えてみると、美しさにはいろいろな種類のものがある。
 絵や彫刻や音楽など、いわゆる芸術の世界では、美がその対象であるから、話は簡単である。目で見たり、耳で聞いたりして、美しいと感ずれば、それが美である。その感じの内容や、どういうところに美を感ずるかという話は、その先の問題である。
 ところで一般には、芸術は美を対象としているし、科学は真を対象としている、といわれている。もちろんそのとおりであるが、この考え方は、誤解を招き易い。というのは、科学は美と無関係であると思われ易いという点である。
 抽象的には、科学は真を対象としているが科学の内容には、美の要素が強くはいっている。それで美の立場から、これを見ることもできるのである。
 その例として、雪の結晶を、顕微鏡で覗いた場合がよく引用される。あの美しい精緻をきわめた六花の結晶や、お伽の国の水晶のような六角柱の結晶など、これほど美しいものが、現世にあるかと思われるほどである。
 山を埋め、野を蔽っている白一色の雪が、こういう天工の芸術品であることを、人々は知らないで、暮している。これは科学によって、初めて人間が知った美である。
 雪の結晶の場合は、完全な六次の対称があるので、その規則正しい形が、美の感じを与えると思われ易い。しかしそればかりではない。
 それは名もない雑草のどの部分でもよいから、一度顕微鏡で覗いてみれば、すぐわかることである。それはごく普通の細胞が並んでいるだけでも、そこには、一面に生命が満ち溢れている美しさがある。色彩が美しいのでもなく、形が美しいのでもない。それは「自然の調和」の美しさである。こういう種類の美は、科学の目を通じて、初めて感得される美しさである。従って、科学と無縁の人には、この美がわからない。ちょうど盲目の人に、絵の美しさがわからないのと同じことである。
 そのもっとはっきりした例は、数学のもつ美しさである。ニュートンの式の中には、天体の整然とした運行の姿が秘められている。アインシュタインの相対性原理の短い式の中には、自然の森羅万象が、時空のただ四つの座標系として納められている。数学は、もっとも簡潔な形で、広い内容のことを表現できる国語である。この国語で書かれた「文学的傑作」のもつ美しさを解し得るのは、この国語を理解できる人だけに許された特権である。
 目も耳も完全な人は、絵画や音楽を楽しむことができる。その上、科学や数学の素養があれば、それらのもつ特殊の美を味わうこともできる。しかし科学や数学を引き合いに出すまでもなく、絵や音楽でも、同じことである。すぐれた芸術を本当に鑑賞できるのは、その道に年期を入れた人に限られている。やはり自分の精神力を注ぎ込まないと、本当の美しさはわからないのではないかと思われる。
(昭和三十三年…

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