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私の読書遍歴
わたしのどくしょへんれき
作品ID59803
著者中谷 宇吉郎
文字遣い新字新仮名
底本 「中谷宇吉郎随筆選集第三巻」 朝日新聞社
1966(昭和41)年10月20日
初出「朝日新聞」1950(昭和25)年6月
入力者砂場清隆
校正者木下聡
公開 / 更新2022-04-11 / 2022-03-27
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 有名な人の読書遍歴をよむと若い人たちは、鼓舞されるよりも、畏縮してしまう方が多いであろう。例えば、清水幾太郎氏の『読書と人生』を読んでも、辰野隆氏の『忘れ得ぬ人々』中の谷崎潤一郎の中学時代の話をみても、びっくり仰天するばかりであろう。事実私もびっくり仰天しているのである。
 中学の一年生頃から、『ファウスト』を読んだり、高等学校へはいる前から、原書の小説や専門書を、どんどん読破したりしているのだから、今の若い諸君には、まるで神話のような話である。しかしそういう人は、実は例外であって、誰でも真似の出来ることではない。
 妙なことで自慢をするようであるが、私などは、読書には、きわめて晩熟であった。もっとも田舎で育ったものは、たいていそうであるが、小学校時代は立川文庫、中学時代は小説の貸本だときまっていたものである。講談の速記が、最高級の本であった。語学だって、中学の五年になって、イソップがやっと読めるくらいであったから、戦後学生の怠け者程度の力であろう。それでも大学を出た頃は、専門書ならばいわゆる原書を読むのに、そう不自由しなかったから、あまり早くあきらめてしまう必要はない。
 本らしい本を初めて読み出したのは、高等学校へはいってからである。ピアノなどというものは、名前は知っていたが、中学時代には、遂に実物を見たことも、聴いたこともなかった。高等学校へはいったら、その本物があったので、急に文化生活に近づいたような気がした。
 本もそのとおりで、急に講談でない本が、周囲にたくさん出て来て、どれも非常に珍しかった。たまたま四宮兼元先生が、哲学雑誌の編集者の地位を辞して、四高の先生になって来られ、その講義が非常に人気があった。そのせいもあって、急に学生間に哲学書が流行り出した。
 私は理科だったので哲学書といつても[#「いつても」はママ]ダーウィンやヘッケルのものを主として読み出した。岩見重太郎から一躍「宇宙の謎」にとんだので、少し勝手がちがったが、面白いことは非常に面白かった。それで一生生物学をやろうという決心をした。三年になると、大学の工科や理科の物理化学方面へ行く男は力学と製図をやり、医科と動植物希望者とは、そのかわりに顕微鏡実習と解剖をやることになっていた。私はちゅうちょなく後者を選んだ。
 ところが三年生になってから岩波の哲学叢書に凝りだした。動機はあまりはっきりしないがあの麻の装釘が、何となく学問的に見えたからであろう。今から考えてみると妙な話であるが、紀平さんの『認識論』などという、晦渋をきわめた本が、ひどく深遠に見えて、三度くらいも繰り返して熟読これ務めたものであった。
 三年の終り頃になって、田辺さんの『最近の自然科学』に凝り出した。これは『認識論』とはちがって、たいへんはっきりしていた。そのかわり内容がひどく高級で、電磁的質量や相対性原理の生まれ…

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