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日食記
にっしょくき
作品ID59815
著者中谷 宇吉郎
文字遣い新字新仮名
底本 「科学以前の心」 河出文庫、河出書房新社
2013(平成25)年4月20日
入力者砂場清隆
校正者安野千歳
公開 / 更新2022-11-13 / 2022-10-26
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 いよいよ世紀の日食が近づいて、この半月ばかりというものは、札幌の街は日食で大分賑かであった。新聞では日米科学戦というような言葉が盛に使われ、街では講演会や放送がたびたび行われた。
 この頃急に忙しくなった私は、とても日食どころの騒ぎではなかった。しかし都会に住んでいて、居ながらに皆既食が見られるようなことは滅多に無いし、それに今度の機会を逃がすと、もう一生見られないかもしれないと思うと、何とかしてお天気になってくれればよいと皆で願った。
 しかし北海道の二月の朝八時に、日食観測に適する晴天を望むことは、甚だ無理な注文である。果して二、三日前から、弱い不連続線が北海道の西北部にかかって、札幌はかなりたくさんの雪の降る日が続いた。やはり駄目かなと思っているうちに、不思議と前日あたりから天気が好転してきた。そして夕方には久しぶりで、太陽が眩く輝きだした。「あすはお月さまにかくされることも知らないで、お日さまは煌々と照っていますね」と家人や子供たちは大はしゃぎであった。
 五時半頃から子供たちに騒がれて、やれやれ厄介な日食だと思いながら起き出てみると、東の全半天が青磁色に晴れわたっている。急に元気が出て、大急ぎで朝飯を食べている間に、地平線のあたりがどんどん茜色に染まってくる。観測陣の人たちは、こんな呑気な話ではなかろうと思っているうちに、いよいよ日の出直前になると、急に薄い雲がいくつもの層になって東の空に現れ、その雲底が真赤に照り出した。この前の上斜里の例に懲りているので、またかなと思いながら、とにかく子供たちをつれて、大学構内へ急いででかけることにした。
 家を出たころちょうど真赤な太陽が大きく地平線の上に現れた。北国の風の無い朝に特有な薄い煙霧が、地平線近いところに静かにたなびいている。その煙霧を通して見える太陽は、真赤な月のように大きい。黒硝子を用いるまでもなく三分ぐらい虧けた姿である。
 道々、雪のなかに立ちつくして煤硝子で窺いている人にたくさん会う。電車のなかでも、みんなが機嫌よく半分虧けた赤い太陽を指差しながら話し合っている。いつもの喧嘩腰の騒ぎもない。大学近くの陸橋の上には、女学生がたくさん並んで、色硝子で窺きながら白い手帖になにか書きこんでいる。この頃はもう八分くらい虧けて、三日月のようにみえる。いつの間にか、日の出と同時に出た薄い雲が消えて、太陽は虧けながらもまぶしく照っている。
 大学構内にも国民学校の児童の一隊がいる。さらさらの粉雪のなかに散開したこの元気な一隊も、みな白い紙を持っている。そして先生らしい人が、時計を片手に何か大きい声で号令をかけている。子供たちは皆真剣な顔付きである。もう九分近くも虧けたのに、辺りはまだそう暗くない。見渡す限り軟い粉雪の世界であるせいもあろう。もっともその雪は澄んだ裏葉色に静まりかえり、これから天地静寂のひ…

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