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寝たらぬ日記
ねたらぬにっき
副題湘南サナトリウムの病院にて
しょうなんサナトリウムのびょういんにて
著者横光 利一
文字遣い旧字旧仮名
底本 「定本 横光利一全集 第十四卷」 河出書房新社
1982(昭和57)年12月15日
初出「文藝時代 第三卷第七號」金星堂、1926(大正15)年7月1日
入力者橘美花
校正者惣野
公開 / 更新2019-12-30 / 2019-11-24
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 櫻草が雨に濡れたまま圓陣を造つてゐる。――
 昨日は日光室で煙草を一本吸ふと、馳け足で引き返し、リゾオルの中へ手を突つ込んだ。
 此處の病室には愛と日光とが行き渡つてゐる。角のあるものは、ドアーと三角形のレントゲン室と、病人だけだ。
 昨夜はベランダで寢た。眼を開く度に、月が鼻のさきにぶら下つてゐて邪魔になつた。
 朝起きたとき、
「ほう、朝だ。」と思つたら、痔になつてゐるのに氣がついた。しかも、海は山と山との間から、嚴格な朝の挨拶をし始めた。
 ――今日は雨だ。バルコオンが濡れてゐる。梯子は骨のやうに立つてゐて不吉である。
 花束が見知らぬ患者から贈られた。これも濡れてゐるので觸つてみた。
 日光室の患者は、硝子の中で聖書を持つたまま、雨を仰いでゐた。
 ――汝もし百疋の羊を得たらんに、その一疋を失はば、九十九疋を置きて迷へる一つを山に尋ぬべし。(馬太傳某章)
 此處の山には蠅が多い。病人は一日、天井にとまつてゐる蠅の數を算へてゐた。
 僕は病人の便器の中へ古新聞を押し込んだ。ふと見ると、
「自己を見詰めよ、」と書いてある。僕は便器の中を見詰めてゐた。
「眞に生きよ、眞に。」――馬鹿な話は、もう止さうではないか。子供がまた一人増すだけだ。
 少し暇が出來ると、病室の蠅叩きと蠅追ひだ。
「さて、もうこれでゐなくなつた、」と思つてゐると、自分の身體に一番眞黒くたかつてゐた。
 今日は何日か、さつぱり分らない。
 ここへ來てからは腹が空いて仕方がない。殆ど朝の五時から夜の十一時まで立ちづめである。動きづめである、啖の取りづめである。
 煙草を一本吸ふ暇を見つけるためには、小説の題を考へる程の才智が必要になつて來た。
 此處は肺病院であるが故に、煙りと云ふ奴は敵である。少くとも、煙りは人間の道徳に從つて決して動いたためしがない。
 夜の九時が來ると、ここは一齊に燈が消える。すると、われわれは平凡に寢なければならない。そこで、私だけは、その日の二本目の煙草を吸ふために、足音を忍ばせ、燈の消えた廊下を傳つて軒へ出る。
 ――何處へ、と問ふものあれば、
 ――待人あり。
 人間はかう云ふ氣品のあることを云ひたいのだ。
 今日は病人の寢てゐる暇に、送つて來た雜誌を繰つてみた。活字の大小逆倒に對する論戰一條。しかし、此の論戰は、結局、いづれにせよ、「非」概念的で問題にならない。問題になるためには、「概念」に足を踏み込んでゐなければ。
 概念とは範疇である。――インマヌエル・カント。
 今日の花は薔薇と菊と雛罌粟と、名も知らぬか弱き花と。
 食慾のない病人は、ひたすらに花にすがつて痩せて行く。
 大阪の「辻馬車」が玄關から這入つて來た。
 川端康成の葉書が舞ひ込んで來ると、風がやんだ。
 康成さんが來ると云ふ。來れば、第一にバルコオンへ連れて行かうと思ふ。それから、僕は煙草…

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