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画集
がしゅう
作品ID59826
著者原 民喜
文字遣い新字旧仮名
底本 「原民喜全詩集」 岩波文庫、岩波書店
2015(平成27)年7月16日
初出落日「高原」鳳文書林、1948(昭和23)年7月号<br>故園「高原」鳳文書林、1948(昭和23)年7月号<br>記憶「高原」鳳文書林、1948(昭和23)年7月号<br>植物園「高原」鳳文書林、1948(昭和23)年7月号<br>黒すみれ「高原」鳳文書林、1948(昭和23)年7月号<br>真昼「高原」鳳文書林、1948(昭和23)年7月号<br>露「高原」鳳文書林、1948(昭和23)年7月号<br>部屋「高原」鳳文書林、1948(昭和23)年7月号<br>一つの星に「高原」鳳文書林、1948(昭和23)年7月号<br>はつ夏「晩夏」足利書院、1948(昭和23)年5月号<br>気鬱「晩夏」足利書院、1948(昭和23)年5月号<br>祈り「晩夏」足利書院、1948(昭和23)年5月号<br>夜「高原」鳳文書林、1949(昭和24)年5月号<br>死について「高原」鳳文書林、1949(昭和24)年5月号<br>冬「高原」鳳文書林、1949(昭和24)年5月号
入力者村並秀昭
校正者竹井真
公開 / 更新2020-09-28 / 2020-08-28
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

落日

 湖のうへに、赤い秋の落日があつた。ほんとに、なごやかな一日であつたし、あんな、たつぷりした入日を見たことはないと、お前も云つた。いつまでも、あの日輪のすがたは残つた、紙の上に、心の上に、そして、お前が死んでからは、はつきりと夢の中に。


故園

 土蔵の跡の石に囲まれた菜園、ここは一段と高く、とぼしい緑を風に晒してゐる。わたしはさまざまなことをおもひだす。薄暗い土蔵の小さな窓から仄かに見えてゐた杏の花。母と死別れた秋、蔵の白い壁をくつきりと照らしてゐた月。ふるさとの庭は年老いて愁も深かつたが……。ふしぎな朝の夢のなかでは、ずしんと崩壊した刹那の家のありさまが見えてくるのだ。


記憶

 もしも一人の男がこの世から懸絶したところに、うら若い妻をつれて、そこで夢のやうな暮しをつづけたとしたら、男の魂のなかにたち還つてくるのは、恐らく幼ない日の記憶ばかりだらう。そして、その男の幼児のやうな暮しが、ひつそりとすぎ去つたとき、もう彼の妻はこの世にゐなかつたとしても、男の魂のなかに栖むのは妻の面影ばかりだらう。彼はまだ頑に呆然と待ち望んでゐる、満目蕭条たる己の晩年に、美しい記憶以上の記憶が甦つてくる奇蹟を。


植物園

 はげしく揺れる樹の下で、少年の瞳は、雲の裂け目にあつた。かき曇る天をながれてゆく龍よ……。
 その頃、太陽はギドレニイの絵さながらに、植物園の上を走つてゐた。忍冬、柊、木犀、そんなひつそりとした樹木が白い径に並んでゐて、その径を歩いてゐるとき、野薔薇の花蔭から幻の少女はこちらを覗いてゐた。樹の根には、しづかな埋葬の図があつた。色どり華やかな饗宴や、虔しい野らの祈りも、殆どすべての幻があそこにはあつたやうだ。それは一冊の画集のやうに今も懐しく私のなかに埋れてゐる。


黒すみれ

 体のすみずみまで、もう過ぎ去つた、お前の病苦がじかに感じられて、睡れない一夜がすぎると、砂埃のたつ生温かい日がやつて来た。かういふ日である、何か考へながら、何も云はず、力ないまつげのかげに、熱い眼がみひらかれてゐたのは。


真昼

 うつとりとお前の一日がすぎてゆくほとりで、何の不安もなく伸びてゐたものがある。それは小さな筍が竹になる日だつた。そよ風とやはらかい陽ざしのなかに、縺れてほほゑむ貌は病んでゐたが。




 キラキラと光りながれるものが涙をさそふなら、闇にうかぶ露が幻でないなら、おもひつめた、パセチツクな眼よ。


部屋

 小さな部屋から外へ出て行くと坂を下りたところに白い空がひろがつてゐる。あの空のむかふから私の肩をささへてゐるものがある。ぐつたりと私を疲れさせたり、不意に心をときめかすものが。
 私の小さな部屋にはマツチ箱ほどの机があり、その机にむかつてペンをもつてゐる。ペンをもつてゐる私をささへてゐるものは向に見える空だ。


一つの星…

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