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悦楽(現代訳)
えつらく(げんだいやく)
著者幸田 露伴
翻訳者中村 喜治
文字遣い新字新仮名
底本 「露伴全集 第二十八巻」 岩波書店
1954(昭和29)年10月16日
入力者中村喜治
校正者
公開 / 更新2019-08-22 / 2019-07-30
長さの目安約 123 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 題して悦楽という、その初めの章に悦を説き、次の章に楽を説くことによる。二章の内容、皆学(学問)を勧めるものである。二章に次いで不慍・無益の二章を記す。その内容も勧学であり。四章の文、言葉づかいに洗練さを欠くといえど趣旨は親切、反復を厭わず、人々を学に志させようとする。聖訓に拠り所を求め、出所を注記する。これ吾が言葉に私無くして根拠の有ることを示し、人の疑うこと無く信ずることを欲する為である。
大正四年夏日
露伴学人識
[#改丁]


 人は誰でも志を立てるものである。身分低く、家貧しく、知恵も鈍く、気も弱く、真に仕方のないような者でも、あるいは折に触れ、あるいは胸の底から湧き出して、このままではいけないと奮い立ち、志を立てることが有るものである。しかし折角志を立てたのは良いが、ただ志を立てたというだけで、学ぶという事をしなければ、心の目指す方向が定まり気の張りが十分に強くても、何の結果も上げられない。必ず学ぶという段階を経なくては、志を立てたのは感心だが、あるいはムダに苦しみ、あるいは倦み疲れ崩折れ屈し、あるいは脇道に逸れて入り込み、終には志をも取り失い悲しい結果を見るものである。英気多く才力逞しい者などはともすれば自分一人で何事も出来ると思い、他人の後を追わなくとも我自ら道を開くのに何の困難も無い、何で頭を下げて学ぶ必要が有るかと、我知らず昂った考えを抱くことが有る。それは英気の余りの事であれば咎めるほどの事では無いが、その人に取っては甚だ宜しくない。効果が無いだけでなく過ちの多い事である。子路は孔先生(孔子;中国・春秋時代の思想家、儒学の祖。氏は孔、諱は丘、字は仲尼。孔子、孔夫子、夫子と尊称される、子や夫子は先生を意味する。)の弟子で気が強く、勇気に満ちた正直一途の上出来の人であるが、初めて孔先生に見えた時、先生が子路の武骨であるが美しい性分を見て取って、教え導こうと思い学問の道を勧められたが、子路は憚り気もなく、「学問に何の益があるものか、南山の竹は手を加えなくてもそのままで真直ぐだ、斬ってこれを使えば犀の革をも通すと聞いている。何が学問だ。」と言いたい放題を申し述べた。子路の思いでは、学問などというものをしても、劣っている人は天性劣っている。賢い人は天性賢い。学問をしても何の益も無い、南山の竹の真直ぐで強いものは、そのまま斬って矢として使えば、厚く強い革さえ通す。何で学問が必要なものか、と思うのだ。その時、お叱りも無く、「其方は、そう思うかも知れないが、その素性の良い南山の竹に、矢筈というものを取りつけて、矢羽というものをつけ、刃味の良い鏃というものをつけて、これを研ぎ澄まし、そして射放てば、矢の入ることも一層深いであろう、どうじゃ。」とお教えになれば、子路は恐れ入って、ナルホド学問をすれば、学問を必要としないほど善い者もますます善くなる。悪くて…

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