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初雪
はつゆき |
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作品ID | 59864 |
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著者 | 近松 秋江 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「秋江隨筆」 金星堂 1923(大正12)年6月25日 |
初出 | 「早稻田文學 第百八十二號 大正十年一月號」1921(大正10)年1月1日 |
入力者 | 杉浦鳥見 |
校正者 | きりんの手紙 |
公開 / 更新 | 2021-04-23 / 2021-03-27 |
長さの目安 | 約 8 ページ(500字/頁で計算) |
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十二月の四日から此處に來てゐます。二日に秋聲氏と一緒に來る約束をしてゐたのですが、その日は私の持病の頭痛の發作が起つたので、秋聲氏はその最中に見舞かた/″\私の樣子を見に來てくれました。で、秋聲氏も一日延ばし、翌日三日は朝から大雨でしたが、氏はその雨の降る最中をこゝにやつて來たのでした。私はその又翌日四日の午後から東京を立つてきました。こゝは東京から來るのに電車の便の惡い所です。京濱電車を降りてからも二十町ばかりの田舍道を海岸まで車に乘らなければなりません。
東京から彼是れ二時間ばかり費して夕方ここに來てみると、秋聲氏のほかに上司小劍氏も來てゐました。氏は私達のはじめ來る日であつた二日に來たのださうです。これで三人が一つ旅館に偶然落ち合つたわけです。
秋聲小劍二氏は今まで一寸々々來た處ですが、私には初めての土地なのです、四邊はもうすつかり蘆荻の葉も褐色にうら枯れ、平濶な水田に小波が立つてゐるのも寒さうで、田圃の中につゞいてゐる悒せき田舍家の間を縫うて俥に搖られながらゆくと、海近い冬の風が遠くから強く吹きつけて來ました。この沿道のわびしい光景を見て、私は何とも云へない寂しい心地になつてゐました。やがて旅館に辿りつくと兩氏がゐるので大に心が引立つたわけです。東京の私達の知人は大抵知つてゐる土地のやうですが、現に故人の岩野泡鳴氏がよく來てゐた部屋はあそこだといつて、上司氏は私に指して教へました。
その翌日は夕方になつて久米正雄氏と岡榮一郎氏が東京の何處かの崩れから押寄せて來て、私達の風呂に入つてゐるところへ飛込んできました。久米氏は新年物の稿に追はれて、途中で原稿用紙とペンなどを用意して來たのでした。そこで五人大一座になつて、私達先着の三老人は一滴もやらない方ですが、若い二氏は共にそれがなくてならぬので、ぼつぼつ始めかけてゐるところへ又ひよつくり中村武羅夫氏が鵠沼への歸途を秋聲氏を訪ねてやつて來ました。遂に六人といふ大一座。ちやうど今夏の箱根のやうな繁昌です。老人三人はやりませんが、若い三人はいづれも酒豪なので、かなり遲くまで秋聲氏の部屋で酒盃を手にしながら談論風發をやつてゐました。秋聲氏は流石に落着いたもので、山の如く眼の前に控えてゐる年末年始の仕事がありながら卓を前にして二十年も年の若い文壇の新鋭を對手に、いつまでも論談するのが聞えてゐました。私の部屋はその隣り、その又となりが廊下を一つ隔てゝ上司君の部屋。私と上司君とは一旦銘々の部屋に退却。流石に談話ずきの私も頭痛の持病の發作が、さういふ時に得て起り易いので自分の部屋に戻つて額をもみながらじつと寢てゐました。やがて久米、中村、岡の三氏は今夜一と晩一緒に自分達にきめられた、向うの方の二階に退散していつたやうでしたが、私も、あとで其等の若い人達の元氣のいゝ氣焔が聽きたくつて、又起き上がつてそつちの方へ行つ…