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親は眺めて考えている
おやはながめてかんがえている
作品ID59867
著者金森 徳次郎
文字遣い新字新仮名
底本 「親馬鹿読本」 鱒書房
1955(昭和30)年4月25日
入力者sogo
校正者The Creative CAT
公開 / 更新2020-06-16 / 2020-05-27
長さの目安約 30 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

ペンギンの連想

 見はるかす積雪の原である。何か氷山の一部らしい。その広野の中を自然に細長い行列を組んでモーニング姿の者が前進して先方の低い丘陵のかなたに消えて行く、何千という数だろう。黒いモーニングはからだにぴったりあっているがズボンの方は白色だ。澄んだ音楽の行進曲に歩調が揃って行く。これはその実「ペンギン鳥の住みかを訪ねて」と題する南極での実写だ。
 今日南極の氷山や雪原の中に沢山の大きなペンギン鳥の集団がある。その生態は大抵の動物学者もよくは知らないが、それをカメラが追求して実写したのである。
 およそ生物の中で身のたけ四尺以上あって二本足で立って歩いているものは、人間の外にはペンギン鳥ぐらいだろう。鶴や鷺だってそうかも知れぬが立って歩くという感じにならない。とにかく黒のモーニングの礼装したような風態で、それがチャップリンもどきの足つきである所が面白い。音楽に歩調をあわせて整然と進んで行くのを見ていると「えらいものだ! 音楽がわかる」と口をすべらしそうだ。
 ところでこのペンギンは年に一回卵を生み、親がこれを抱いて暖める。しかし親たちは抱きつつ行動しなければならぬ。しかもまた抱くにふさわしい腕も胸も整っていないのだ。羽毛の服の内側のような所に卵を保持して暖めていると適期に裾の所から小さな鳥が出て来て、親に保護されよたよたと歩く。色々な保護方法が集団的にまたは個別的に発達している。本能的とでもいうべきだろう。風雪がおそい来る、外敵がやって来る、傷つくものも仆れるものも出来る。その屍体は怪鳥めいた他動物の餌食になる。つまり親の保護がなければ小動物は生存することが出来ぬのだ。
 これが一年も経つと、成鳥になり、親子の関係ははなれて行き、自立する。また異性愛をも発する。かくて永遠の時のひとこまを形成して行くのである。
 四尺以上の身長で、常に二本足で立って歩き、一夫一婦であり、子は一ぴきしか生まないという群棲動物を見ていると、非常に我々人間にあてつけるようであり、自分達の家庭生活をいやでも思い出さざるを得ない。「親子相愛生活の姿は可愛いな」と賞めるかたわら、その本能的かつ盲目的なることにおいて、我々はあまり鳥後に落ちないと自嘲したくなる。同時に父子の間にある色々な心理現象を自省して見ると、自分には自分の世界があって、愚なようでもあり尊くもある。
 つまり他人の立場から見ると前者であり、自分の立場から静観すると後者であるらしい。自分で自覚しない愚さであるようで、しかもこれが人間の本能に通ずるものだろう。
 立ちかえって考えると、私は初めて子供が出来たとき何やら心が転換期に入ったようであった。色色の曲折を経たり経験を経た今においても、心理的にまたは道徳的に割り切れないものがある。要するに万有を支配する力のまにまに受動的に動きながら、それが主動的であるように夢を見…

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