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九年母
くねんぼ
作品ID59877
著者青木 正児
文字遣い新字新仮名
底本 「「あまカラ」抄2」 冨山房百科文庫、冨山房
1995(平成7)年12月6日
初出「あまカラ 8月号 第六十号」甘辛社、1956(昭和31)年8月5日
入力者砂場清隆
校正者芝裕久
公開 / 更新2019-12-02 / 2019-11-24
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 明治二十五年の春、私は赤間関(今の下関)文関尋常小学校に入学した。たしか二年の修身の教科書に「九年母」という話が載っていた。田舎の子供が母から九年母を親戚に贈る使いを言いつけられて、途中風呂敷包を開けてみると九個ある、一個食べておいて、「八年母を差し上げます」と差し出したという話。私はなぜかその話が面白くて、今でもその挿図の子供の姿が眼に残っている。私は九年母が好きであった。味よりもあの香気が好きだったのである。
 あれから三十年、私は父の死後、京都に落着くつもりで下鴨に廬を結んだ。名づけて守拙廬という。扁額は亡友本田蔭軒君の筆、刻は主人自刀である。少しばかりの空地に植える果樹の苗を数種取り寄せたが、なかに九年母三本を加えることを忘れなかった。それからまた三十余年、他の果樹は育たなかったり枯れてしまったりしたが、九年母二本と柿一本とだけは恙無く現存している。特に九年母は繁茂して、近来年々三百顆の実を付ける。初夏には王朝の花橘をしのばせる香が小園に満ち、冬にはトキジクノカクノコノミのように熟れた実が濃緑の葉かげに金色の光を放つ、これが主人自慢の種である。皮ごと竪に二つに割って、横に薄く切り、醤油を滴らして食うと、酒の肴に珍無類、仙気を帯びた異味となる。子供たちは酸っぱいと言って軽蔑し、あの香気の素晴しさを説いて、皮ごと食えと教えても決して食わない。なるほど実の酸っぱいのが玉に瑕である。
 このことを山口である人に話して、京都の地味に合わないのだろうと言うと、その人が言う、「幾分そういう関係もあるでしょうが、九年母は蜜柑のように甘くはありませんよ。それは子供の時食べたものは何でも旨かったように思われるのですよ。私の亡父が永らく東京に住んでいて、山口県の楊梅(ヤマモモ)は旨かった旨かったと言いつめておりました。母が、それは子供の頃おあがりになったからですよ、あんなもの旨いはずはありませんよ、と言っても、頑として聴き入れませんでした」と、大笑いしたことがあった。楊梅は私の育った下関の家にもあったし、塩水に浸して虫を出してから食べさせられたもので、なつかしい味の一つであるが、今は山口でもその附近でも一向めぐり会わない。苺や桜桃の流布した今日、あのような野味は駆逐されるのが当然である。九年母にしても段々なくなっていくというが、いくらひいき目に見ても、ネーブルの敵ではない。ただあの皮の香気と実の味とを兼ね備えたところだけは自慢できる。ネーブルの皮は香りはあるが苦くて物にならない。柚子の皮は香味を備えているが、実は酸っぱすぎて話にならぬ。九年母はやはり香味独絶する。
 子供の頃食べた郷土の味はなつかしい。下関に接近して彦島がある。今は海底トンネルの入口があったり、工場があったりして、昔の面影はないが、私の子供の頃は農村漁村が散在して、麦味噌の名産地、したがってまたその味噌…

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