えあ草紙・青空図書館 - 作品カード

作品カード検索("探偵小説"、"魯山人 雑煮"…)

楽天Kobo表紙検索

浅草風土記
あさくさふどき
作品ID59888
著者久保田 万太郎
文字遣い新字新仮名
底本 「浅草風土記」 中公文庫、中央公論新社
2017(平成29)年7月25日
初出雷門以北「東京日日新聞 夕刊」1927(昭和2)年6月30日~7月16日<br>吉原付近「中央公論」1929(昭和4)年2月<br>続吉原付近「中央公論」1929(昭和4)年3月<br>隅田川両岸「中央公論」1935(昭和10)年9月<br>浅草田原町「三田文學」1912(明治45)年2月<br>あやめ団子「花形」1920(大正9)年8月<br>相模屋の路次・浅倉屋の路次「新演藝」1920(大正9)年8月<br>浅草の喰べもの「中央公論 夏期特別號」1920(大正9)年7月<br>夏と町々「時事新報 夕刊」1929(昭和4)年6月1日~30日<br>絵空事「新潮」1932(昭和7)年3月<br>一年「東京新聞」1946(昭和21)年4月15日<br>浅草よ、しずかに眠れ「苦樂」1948(昭和23)年2月<br>夜店ばなし「婦人公論」1931(昭和6)年7月<br>除夜「週刊朝日」1930(昭和5)年12月28日號<br>正月「婦人公論」1932(昭和7)年1月<br>水の匂「文藝春秋」1941(昭和16)年7月<br>町々…… 人々……「別冊文藝春秋」1955(昭和30)年2月~6月
入力者kompass
校正者栗田美恵子
公開 / 更新2023-11-07 / 2023-10-30
長さの目安約 330 ページ(500字/頁で計算)

広告

えあ草紙で読む
▲ PC/スマホ/タブレット対応の無料縦書きリーダーです ▲

find 朗読を検索

本の感想を書き込もう web本棚サービスブクログ作品レビュー

find Kindle 楽天Kobo Playブックス

青空文庫の図書カードを開く

find えあ草紙・青空図書館に戻る

広告

本文より

雷門以北


広小路



 ……浅草で、お前の、最も親密な、最も馴染のふかいところはどこだときかれれば、広小路の近所とこたえる外はない。なぜならそこはわたしの生れ在所だからである。明治二十二年、田原町で生れ、大正三年、二十六の十月までわたしはそこに住みつづけた。子供の時分みた景色ほど、山であれ、河であれ、街であれ、やさしくつねに誰のまえにでも蘇生って来るものはない。――ことにそれが物ごころつくとからの、わたしのような場合にあってはなおのことである。
 田原町、北田原町、東仲町、北東仲町、馬道一丁目。――両側のその、水々しい、それぞれの店舗のまえに植わった柳は銀杏の若木に変った。人道と車道境界の細い溝は埋められた。(秋になるとその溝に黄ばんだ柳の葉のわびしく散りしいたものである)どこをみても、もう、紺の香の褪めた暖簾のかげはささない。書林浅倉屋の窓の下の大きな釜の天水桶もなくなれば、鼈甲小間物店松屋の軒さきの、櫛の画を描いた箱看板の目じるしもなくなった。源水横町の提燈やのまえに焼鳥の露店も見出せなければ、大風呂横町の、宿屋の角の空にそそる火の見梯子も見出せなくなった。――勿論、そこに、三十年はさておき、十年まえ、五年まえの面影をさえさし示す何ものもわたしは持たなくなった。「渋屋」は「ペイント塗工」に、「一ぜんめし」は「和洋食堂」に、「御膳しるこ」は「アイスクリーム、曹達水」に、おのおのその看板を塗りかえたいま。――そういっても、カフェエ、バア、喫茶店の油断なく立並んだことよ。――偶々むかし、ひょうきんな洋傘屋あって、赤い大きな目じるしのこうもり傘を屋上高くかかげたことが、うち晴れた空の下に、遠く雷門からこれを望見することが出来たといっても、誰も、もう、それを信じないであろう。しかくいまの広小路は「色彩」に埋もれている。強い濃い「光」と「影」との交錯に溺れている。――ということは、古く存在した料理店「松田」のあとにカフェー・アメリカ(いま改めてオリエント)の出来たばかりの謂いではない。そうしてそこの給仕女たちの、赤、青、紫の幾組かに分れている謂いでも勿論ない。前記書林浅倉屋の屋根のうえに「日本児童文庫」と「小学生全集」の厖大な広告を見出したとき、これも古い酒店さがみやの飾り窓に映画女優の写真の引伸しの貼られてあるのを見出したとき、そうして本願寺の、震災後まだかたちだけしかない裏門の「聖典講座」「日曜講演」の掲示に立交る「子供洋服講習会」の立札を見出したとき、わたしの感懐に背いていよいよ「時代」の潮さきに乗ろうとする古いその町々をはっきりわたしは感じた。――浅倉屋は、このごろその店舗の一部をさいて新刊書の小売をはじめたのである。さがみやもまたいままでの店舗を二つに仕切って「めりんすと銘仙」の見世を一方にはじめたのである。
 が、忘れ難い。――でも、矢っ張、わた…

えあ草紙で読む
find えあ草紙・青空図書館に戻る

© 2024 Sato Kazuhiko