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冬日の窓
ふゆびのまど
作品ID59890
著者永井 荷風 / 永井 壮吉
文字遣い新字旧仮名
底本 「荷風全集 第十九巻」 岩波書店
1994(平成6)年11月28日
初出「新生 第二巻第二号」1946(昭和21)年2月1日
入力者きりんの手紙
校正者砂場清隆
公開 / 更新2020-12-03 / 2020-11-27
長さの目安約 16 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

               ○
 窓の外は鄰の家の畠である。
 畠の彼方に、その全景が一目に眺められるやうな適当の距離に山が聳えてゐる。
 山の一方が低くなつて樹木の梢と人家の屋根とに其麓をかくしてゐるあたりから、湖水のやうな海が家よりも高く水平線を横たへてゐる。
 これが熱海の町端の或家の窓から見る風景である。九月の初からわたくしは此処に戦後の日を送つてゐる。秋は去り年も亦日に日に残少くなつて行かうとしてゐる。
 然しわたくしの室にはまだ火鉢もない。けれども窓に倚る手先も更に寒さを感じない。日は眼のとゞくかぎり、畠にも山にも空にも海にも、隈なく公平に輝きわたつてゐる。思返すと、空の青さは冬になつてから更に濃く更に明くなり、山は一層その輪廓を鮮かに、その重なり合ふ遠近と樹林の深浅とを明かにしたやうに思はれる。初め熱海の山は樟と松のみに蔽はれてゐるやうに見られてゐたが、冬になつてから、暗緑の間にちらほら黄ばみを帯びた紅葉の色が見え初め、日に増し其範囲がひろくなるにつれて其色も亦濃に染められて行く。
 目近く、窓の外の畠に立つてゐる柿の紅葉は梅や桜と共にすつかり落ち尽し、樺色した榎の梢も大方まばらになるにつれ、前よりも亦一層広々と、一面の日当りになつた畠の上には、大根と冬菜とが、いかにも風土の恵みを喜ぶがやうに威勢好く其葉を舒してゐる。常磐木の茂りの並び立つ道の彼方から[#挿絵]の声がきこえる。
 わたくしは永年住み慣れた東京の家にゐた時にも、毎年小春の日光に山吹の花の返咲きするのを見れば、いつも目新しく祖国の風土と気候とに関して、言ひ知れぬ懐しさと、それに伴ふ感謝の念を覚えて止まなかつた。日本の冬の明さと暖さとはおそらくは多島海の牧神をしてこゝに来り遊ばしむるも猶快き夢を見させる魅力があつたであらう。柿の葉は花より赤く蜜柑の熟する畠の日あたりにはどうかすると絶えがちながら今だに蟋蟀の鳴いてゐる事さへあるではないか。
               ○
 過去日本の文学は戦闘の舞台として、屡伊豆の山と海とをわれ/\に紹介してゐる。その事実をわたくしは疑はない。然し今わたくしが親しく窓から見る風景と、親しく身に感じる気候とは、此くの如き過去の記録をして架空な小説のやうにしか思惟させない。それほどまでに、風景は穏に気候は軟かなのだ。わたくしは如何なる神秘な伝説をも、(若し在つたなら、)それを信ずるに躊躇しないであらう。美の女神ヱヌスの海上出現を希臘の海から、伊豆の浜辺に移し説くものがあつても、強ちそれを荒唐無稽だとは言はぬであらう。
 わたくしは昭和現在の時勢に阿ねる心で此れを言ふのではない。日本の自然のあらゆる物は子供の時からさういふ心持をさせてゐたのである。わたくしは既に幾度か、物に触れ時に感ずるたび/\、日本の風景草木鳥獣から感受する哀愁に就いて、古来の詩歌文…

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