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ドミノのお告げ
ドミノのおつげ
作品ID59891
著者久坂 葉子
文字遣い新字新仮名
底本 「ドミノのお告げ」 べんせいライブラリー 青春文芸セレクション、勉誠出版
2003(平成15)年2月15日
初出「VIKING 17号」1950(昭和25)年4月号
入力者kompass
校正者持田和踏
公開 / 更新2023-12-31 / 2023-12-08
長さの目安約 42 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 或る日。――
 足音をしのばせて私は玄関から自分の居間にはいり、いそいで洋服をきかえると父の寝ている部屋の襖をあけました。うすぐらいスタンドのあかりを枕許によせつけて、父はそこで喘いでおります。持病の喘息が、今日のような、じめじめした日には必ずおこるのです。秋になったというのに今年はからりと晴れた日はまだ一日もなく、陰気な、うすら寒い、それで肌に何かねばりつくような日がつづいていました。
「ただいま帰りました。おそくなりまして。いかがでございますか……」
 父は黙って私の顔をみつめております。私は父のその眼つきを幾度もうけて馴れておりますものの、やはりそのたびに恐れ入る、という気持になって、丁寧に頭をさげます。そして、ぎごちなく後ずさりをして部屋を出ました。
 つめたい御飯がお櫃の片側にほんのひとかたまり。それに大根の煮たのが、もう赤茶けてしるけもなくお皿にのっております。土びんには、これもまたつめたい川柳のお茶がのこりすくなくはいっております。私はいそいでお茶漬けにして食事を済ませました。胃のなかに、かなしいほどつめたいものが大いそぎでおちこんで行った、という感じがします。その時、母が父の部屋にはいったらしく、二人の会話がきこえて来ました。私のことなのです。
「雪子は今ごはんのようですね。九時になるというのに」
「何ですかねえ、夕方から出ちまって、家のことったら何一つしようとしないで」
「あなたがさせないからいけないのです」
「申し訳ございません」
 母は父の背中をさすっているらしく、時折苦しそうなその父の声と、母のものうそうな声にまじって、つむぎの丹前のすれ合う音がします。私には両親の話す言葉が、自分のことだとさえも感じられないくらいなのです。それよりも私は、今日父に五〇グラムの輸血をしてあげて、代償にもらった五〇〇円のそのお金で買って来た李朝の皿のことで一杯でした。薬も注射も三時間しか効果がつづかず、それも度々やるためにだんだん効力が失われて来て、輸血でもするほかによい方法はないという一人の医師の言葉に従って、私の血を父の血管に入れました。父は母に財布を取りに行かせ、黙って百円紙幣を五枚、私の前に並べたのです。私も一言も云わないでそれをもらうと家を出たのでした。夕方のうすら寒い街を歩きました。そして、ほしかったその皿を買い、残りでコーヒーをのみ、高級煙草も吸いました。
 穢れた食器をがちゃがちゃ手荒く洗って、ぞんざいに戸棚の中へかさねて置くと、自分の部屋へ戻って新聞紙のつつみをほどきました。陶器のそのとろっとした肌を頬につけてしばらくそれを愛撫しました。
「また、姉様の隠居趣味。食うに困ってるのに。そんなもの買うくらいなら牛肉でも買ってくりゃいいんだ」
 はいって来た弟の信二郎は、いきなり皿を爪はじきしました。
「いけない。こわれるじゃないの」
 私…

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