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こよみ
作品ID59896
著者壺井 栄
文字遣い新字新仮名
底本 「日本文学全集76 壺井栄 芝木好子集」 集英社
1973(昭和48)年11月8日
初出「新潮」1940(昭和15)年2月
入力者芝裕久
校正者入江幹夫
公開 / 更新2022-08-05 / 2022-08-02
長さの目安約 114 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



「実枝、年忌の手紙出しといたか」
 奥の部屋で出勤前の身支度をしながらのクニ子の声がせかせかと聞えた。茶の間の実枝は赤い箸でたくあんを挾み、わざとゆっくりと前歯で噛みながら、
「ん」と、どっちつかずの返事をした。
「ん、じゃないでほんまに、まだ出しとらんじゃろ」
 紫紺色の袴の後ろを引きずってもどかしい声で近づいてきた。いっしょに坐る朝食なのに実枝はいつでもあとになり、というよりクニ子の方が落ちついていずにかきこんで、お茶ものまずに立ち上るので実枝は自然取残されるのであった。ちゃぶ台に肘などついてゆっくり構えている実枝に、クニ子ははがゆそうなパリパリした語調で、
「ぐずぐずしとったら間に合わんぞ、もうあと二十日じゃないか。世帯もちは今日に今日と家をあけられへんてさっさと案内しとかにゃ」
 浴せかけるようにいった。小学校の教師であるクニ子は奉職以来十年近くをずっと一年生ばかり受持たされていて、踊ったり歌ったり、とかく外光にあたる時間が多いのに、近ごろは他の組の体操まで持たされて年がら年じゅう紫外線を吸収しすぎている顔は、白い半襟の上で、実枝の言葉をかりると唐きび色に光っていた。
「出しときよっ」
「はいっ」
 両方でかけ声のような叫び合いになったので二人はげらげら笑いだした。
 今年はクニ子たちの祖母の十七年忌と、父親の三年忌に当るので、東京だとか神戸だとか広島などにちりぢりに暮している姉たちに来てもらい、先祖や亡くなった兄姉の菩提をも弔おうという末っ子二人の思いつきなのである。いわば、今まではお世話になりましたが、自分たちにもこんな世間並みなこともできるようになりました、という大人ぶった気持と、父親の葬式以来会わない姉たちに会いたいための甘えた計画でもあった。
 クニ子は袴の後ろ紐を前でぐっと下げて結びながら腕時計を見、きゅうに慌てだした。
「実枝、ほらほら、弁当、弁当」
 早口にそういって自分は足袋跣足で片足つま先立って下駄を出している。実枝も立ち上っていっしょに慌て、ほれ、ほれ、と台所の上り框に置いてあった弁当包みを渡した。傘をおおげさにふり、朴歯の日和下駄を踏石にかたかた鳴らして風を切るように駆けだすクニ子の後姿を見送り、実枝はふう、と声に出して息をついた。縁に腰をかけ、先刻とはあべこべに、
「やれやれ、せわしないこっちゃ、ほんまに」と、母親のような口ぶりで呟いた。
 毎朝実枝にさんざん急きたてられるまでクニ子はひと時花畑に入りこんでジキタリスの花の数をかぞえてみたり、向日葵と背比べをしたり、薔薇の匂いに小鼻をうごめかしては悦に入ったりするのであった。家の前を真直ぐに通りの小径につながる敷石道を挾んで両側十坪ほどずつの空地にとりとめもなく草や木を植えこんだそこを、クニ子はおおげさに「花園」といった。季節季節の種を蒔き、花を咲かせることがクニ子にと…

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