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四年のあいだのこと
よねんのあいだのこと
作品ID59903
著者久坂 葉子
文字遣い新字新仮名
底本 「幾度目かの最期」 講談社文芸文庫、講談社
2005(平成17)年12月10日
初出「VIKING 11号」1949(昭和24)年10月
入力者kompass
校正者The Creative CAT
公開 / 更新2021-03-27 / 2021-02-26
長さの目安約 24 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 うすねずみいろの毛地のワンピースを着て、私は花束を持っている。今さっき、知合の家へあそびに行き、その庭に一ぱいあふれるように咲いていたスイートピーをすきなだけきらせてもらい、その帰りである。花はむっとした少し鼻につきすぎる位の香りで、それはこいむらさきやうすいピンクや白や各々の色より発散したものが、また一つになって新しく別なものをこしらえ私に投げかけるようだ。この香りに、何か、不思議な作用があるのだろうか。
 大きな木立のある邸の横手の細いみちを、時々明るくなったり暗くなったりする青葉から洩れてくる五月の太陽。このひかりに何か魔術がかかっているのだろうか。

 私はこれからまっすぐ家へかえるべきであるのに、邸裏をぬけて駅へ出ると、そこから電車で十分とかゝらないA駅への切符を買い求めてしまった。
 川っぷちのA駅に降りたったのは、私の記憶の中では初めてのことらしい。南側の出口を無意識に切符を渡して出ると、丁度三時の光線が白い埃っぽい道に影もつくらず照っており、疲れを感じる位である。
 花束をかかえて私はその道を南へだらだら下ると、すぐ右手に想像していた通りの細い道があり、新しい西洋館や和洋折衷のハイカラな家が静かに並んでおり、通る人など殆んどいない。そこを五分位西へすすみ更に右手へ折れてすすむと、やがて私はたちどまった。知らず識らずのうちにたどって来たところなのである。目の前の家は純西洋館で、奥まった建物の窓辺にばらが這うており、赤煉瓦の低い門から玄関まで石の道がついている。その両側には金魚草、トップ草、又スイートピーなどたくさんむらがり咲いている。私は窓辺のばらをもう一度みた。その時、ふっと窓に人影がちらついた。じかにではない。すりガラスを通してちらっとその白い衣をみたのだ。すぐにそれは消える。
 瞬間、私は立ち去った。無茶苦茶に走った。幾つかの角をまがり、川っぷちへ出た。そしてやっと我に返った私は(これは問題だ。考えなければならない)とつぶやいた。(どういうわけであそこへ行ったのだろう。それが全く魔術にかかっていたとしても他ではないあの家へ、どうして。そして、そこで見たものは何であったのか。どうして一目散にかけ戻って来たのか。ほら、こんなに動悸がはげしいではないか。あの人影は一体、誰だったのだ。)
 私は人影について、じっくり考える必要があると気付いた。そして人影の事を思い出した。

 私が十六で人影が三十であった頃。山の麓に私が住い、山の頂に人影は住んでいた。
 毎朝、鞄を提げて門を飛び出す私は、紺のひだのスカートをはいており、髪の毛は二つに分って後で編んでいる。女学校は人影の住む山と、谷一つへだてている山の上にあり、そして私は学校へ行くために人影の住む山を半分登り橋をわたらねばならなかった。
 単語カードのリングを指にひっかけて、或いは文法を暗記しな…

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