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花火
はなび
著者永井 荷風
文字遣い新字新仮名
底本 「麻布襍記 ――附・自選荷風百句」 中公文庫、中央公論新社
2018(平成30)年7月25日
初出「改造 第一卷第九號」改造社、1919(大正8)年12月1日
入力者きりんの手紙
校正者砂場清隆
公開 / 更新2020-07-01 / 2020-06-27
長さの目安約 13 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 午飯の箸を取ろうとした時ポンと何処かで花火の音がした。梅雨も漸く明けぢかい曇った日である。涼しい風が絶えず窓の簾を動かしている。見れば狭い路地裏の家々には軒並に国旗が出してあった。国旗のないのはわが家の格子戸ばかりである。わたしは始めて今日は東京市欧洲戦争講和記念祭の当日であることを思出した。
 午飯をすますとわたしは昨日から張りかけた押入の壁を張ってしまおうと、手拭で斜に片袖を結び上げて刷毛を取った。
 去年の暮押詰って、然も雪のちらほら降り出した日であった。この路地裏に引越した其日から押入の壁土のざらざら落ちるのが気になってならなかったが、いつか其の儘半年たってしまったのだ。
 過ぐる年まだ家には母もすこやかに妻もあった頃、広い二階の縁側で穏かな小春の日を浴びながら蔵書の裏打をした事があった。それから何時ともなくわたしは用のない退屈な折々糊仕事をするようになった。年をとると段々妙な癖が出る。
 わたしは日頃手習した紙片やいつ書捨てたとも知れぬ草稿のきれはし、また友達の文反古なぞ[#「なぞ」は底本では「など」]、一枚々々何が書いてあるかと熱心に読み返しながら押入の壁を張って行った。花火はつづいて上る。
 然し路地の内は不思議なほど静かである。表通りに何か事あれば忽ちあっちこっちの格子戸の明く音と共に駈け出す下駄の音のするのに、今日に限って子供の騒ぐ声もせず近所の女房の話声も聞えない。路地の突当りにある鍍金屋の鑢の響もしない。みんな日比谷か上野へでも出掛けたにちがいない。花火の音につれて耳をすますとかすかに人の叫ぶ声も聞える。わたしは壁に張った草稿を読みながら、ふと自分の身の上がいかに世間から掛離れているかを感じた。われながら可笑しい。又悲しいような淋しいような気もする。何故というにわたしは鞏固な意志があって殊更世間から掛離れようと思った訳でもない。いつとなく知らず知らず斯ういう孤独の身になってしまったからである。世間と自分との間には今何一つ直接の連絡もない。
 涼しい風は絶えず汚れた簾を動かしている。曇った空は簾越しに一際夢見るが如くどんよりとしている。花火の響はだんだん景気がよくなった。わたしは学校や工場が休になって、町の角々に杉の葉を結びつけた緑門が立ち、表通りの商店に紅白の幔幕が引かれ、国旗と提灯がかかげられ、新聞の第一面に読みにくい漢文調の祝辞が載せられ、人がぞろぞろ日比谷か上野へ出掛ける。どうかすると芸者が行列する。夜になると提灯行列がある。そして子供や婆さんが踏殺される……そう云う祭日のさまを思い浮べた。これは明治の新時代が西洋から模倣して新に作り出した現象の一である。東京市民が無邪気に江戸時代から伝承して来た氏神の祭礼や仏寺の開帳とは全く其の外形と精神とを異にしたものである。氏神の祭礼には町内の若者がたらふく酒に酔い小僧や奉公人が赤飯の馳走…

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