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偏奇館漫録
へんきかんまんろく |
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作品ID | 59940 |
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著者 | 永井 荷風 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「麻布襍記 ――附・自選荷風百句」 中公文庫、中央公論新社 2018(平成30)年7月25日 |
初出 | 「新小説 第二十五年第十號~第二十六年第三號」春陽堂、1920(大正9)年10月1日~1921(大正10)年3月1日 |
入力者 | きりんの手紙 |
校正者 | 入江幹夫 |
公開 / 更新 | 2021-04-30 / 2021-03-27 |
長さの目安 | 約 42 ページ(500字/頁で計算) |
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○
庚申の年孟夏居を麻布に移す。ペンキ塗の二階家なり。因って偏奇館と名づく。内に障子襖なく代うるに[#「代うるに」は底本では「代ふるに」]扉を以てし窓に雨戸を用いず硝子を張り床に畳を敷かず榻を置く。朝に簾を捲くに及ばず夜に戸を閉すの煩なし。冬来るも経師屋を呼ばず大掃除となるも亦畳屋に用なからん。偏奇館甚独居に便なり。
門を出で細径を行く事数十歩始めて街路に達す。細径は一度下って復登る事渓谷に似たれば貴人の自動車土を捲いて来るの虞なく番地は近隣一帯皆同じければ訪問記者を惑すによし。偏奇館甚隠棲に適せり。
偏奇館[#「偏奇館」は底本では「偏寄館」]僅に二十坪、庭亦狭し。然れども家は東南の崖に面勢し窓外遮るものなく臥して白雲の行くを看る。崖に竹林あり。雨は絃を撫するが如く風は渓流の響をなす。崖下の人家多くは庭ありて花を植ゆ。崖上の高閣は燈火燦然として人影走馬燈に似たり。偏奇館独り窓に倚るも愁思少し。
屋後垣を隔てて隣家と接す。隣家の小楼はよく残暑の斜陽を遮ると雖晩霞暮靄の美は猶此を樹頭に眺むべし。門外富家の喬木連って雲の如きあり。日午よく涼風を送り来って而も夜は月を隠さず。偏奇館寔に午睡を貪るによし。たまたま放課の童子門前に騒ぐ事あるも空庭は稀に老婢の衣を曝すに過ぎざれば鳥雀馴れて軒を去らず。階砌は掃うに人なければ青苔雨なきも亦滑かに、虫声更に昼夜をわかつ事なし。偏奇館徐に病を養い静かに書を読むによし。怨むらくは唯少婢の珈琲を煮るに巧なるものなきを。
○
余花卉を愛する事人に超えたり。病中猶年々草花を種まき日々水を灌ぐ事を懈らざりき。今年草廬を麻布に移すやこの辺の地味花に宜しき事大久保の旧地にまさる事を知る。然れどもまた花を植えず独窓に倚り隣家の庭を見て娯しめり。
呉穀人が訪秋絶句に曰く、豆架瓜棚暑不レ長。野人籬落占二秋光一。牽牛花是隣家種。痩竹一茎扶上レ墻と。わが友唖々子に句あり。「夏菊や厠から見る人の庭。」われ此れに倣って「涼しさや庭のあかりは隣から。」
余今年花を養わざるは花に飽きたるにあらず。趙甌北が絶句に、十笏庭斎傍二水涯一。鳳仙藍菊燦如レ霞。老知光景奔輪速。不レ種二名花一種二草花一。といえるを思えば病来草花を愛するの情更に深からずんばあらず。然るに復之を植えざるは何ぞや。虫を除くの労多きを知るが故なり。啻に労多きのみにあらず害虫の形状覚えず人をして慄然たらしむるものあるが故なり。鳳仙藍菊の花燦然として彩霞の如くなるを看んと欲すれば毛虫芋虫のたぐいを手に摘み足に踏まざるべからず。毛虫の毛を逆立て芋虫の角を動し腹を蠢かすさまの恐しきを思えば、庭上寧ろ花なきに如かず。花なければ虫も亦無し。
毛虫芋虫は嫩葉を食むのみに非ず秋風を待って再び繁殖しいよいよ肥大となる。梔子木犀枳殻の葉を食うものは毛なくして角あり。その状悪鬼…