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寸感
すんかん
作品ID59941
著者佐藤 春夫
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 佐藤春夫全集 第19巻」 臨川書店
1998(平成10)年7月10日
初出「探偵趣味 第一二輯・第二年第九号」1926(大正15)年10月1日
入力者よしの
校正者希色
公開 / 更新2020-10-01 / 2020-09-28
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 探偵小説といふ言葉は、すでに余り面白い言葉でない。誰か何とかいゝ名称を附けかへてほしいやうな気がしてゐたが、そいつが探偵趣味といふ雑誌の名になつたのだから実は雑誌を見る度に内容は面白いと思ひながら名前には少々閉口してゐる。全く探偵趣味などは悪趣味だよ。同人諸君の中にも、聞けば同感の諸君があるさうだが、尤も今になつては、どう変へる事も出来ぬかも知れぬ。これは些細な事だが、今日所謂探偵小説を書いてゐる諸君の大部分が、文字に対して鈍感、といふ程でなくとも兎も角も、余り敏感でない証拠にならなければいゝがと思つてゐる。
 全くあの種類の作品の面白味の余程多くの部分は、文字が与へるものである。極端に云へば刻々の文字さへ面白ければ内容はいらぬと云つて見たいくらゐだ。

 探偵小説はどういふ訳で存在の意味があるか、そんなやぼな事を訊く人間も近頃あまりないかも知れぬが、でもあるかも知れぬやうな気もする。それでちよつとその問はれもしない事の返事を考へて見たのだが、さういふ問合せの往復葉書が、何処からか舞ひ込むとすれば、返事は次の如し。
明快なる理智の遊戯として。
奔放なる空想の遊戯として。
 但し遊戯といふものはいゝものである。遊戯をつまらないものと思ふのは下等な功利的精神と、よぼ/\になつた肉体との気の毒な考へ違ひである。

 僕は近頃外国のものも、我国のもあまり読まないから何とも断言は出来ないけれども、一体今迄の探偵小説にはあまり特別異常な事ばかりで、家常茶飯事の中には探偵小説が無いらしいのだが、又それが自然な現象でもあるのであるが、探偵小説の世界にも一ぺん自然主義的洗礼を与へて見たいものだ。さうすれば案外新しい方面が開けるかも知れぬ。才能ある作者に求む。

 此頃連作小説とやらいふ変なものが流行してゐる。シユミツト、ボンがやらうが、シユニツレルがやらうが、下らない無意味な事は結局下らない無意味な事に過ぎない。
 我国にも連句といふものがある。が、これは自ら別だ。これはその席上に集る人が一人々々の個人といふよりも或一つの約束のもとに奉仕してゐる一つの団体なのだ。だから連句といふのはなりたつ。同じ精神と同じ約束とで結びついてゐるのだから。
 ところで探偵小説にも連作があつてもよからう。犯罪を犯す一人の作者に対して数人の作者が、それ/″\に思ひ思ひの方法で、その解決を企てるのなどは甚だいゝと思ふ。いや探偵小説の場合はかうでなければならぬやうな気がする。だつて事実上問題を起す人間と、それを解く人間とは探偵小説的事実に於ては、何時も異つた人である筈だ。一人がせい一ぱいの智慧を絞つた事の内の小さな抜目から、別の人間がそのごく小さな門をくゞつて、内部の迷宮を究める事になるのだ。
 今迄のやうに問題も解決も自分一人でやる事になれば、此処に嘘が出来、作り事の出来るのがあたりまへだ。だから…

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