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博士の目
はかせのめ
作品ID59974
著者山川 方夫
文字遣い新字新仮名
底本 「親しい友人たち 山川方夫ミステリ傑作選」 創元推理文庫、東京創元社
2015(平成27)年9月30日
初出「ヒッチコック・マガジン 第四巻第五号」宝石社、1962(昭和37)年4月1日
入力者toko
校正者かな とよみ
公開 / 更新2021-08-20 / 2021-07-27
長さの目安約 12 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私がマックス・プランツ研究所にロレンス博士をたずねたのは、数年前の早春のある日である。たまたま、近くの大学で国際動物学会が開催され、わざわざ日本から参加した私は、高名な博士に逢える機会を逃したくなかったのだ。博士は、動物本能の――正確には、動物の内因性行動に関しての、世界的な権威である。たぶん、博士の名を知らない心理学者、ことに動物心理学者はいないだろう。
 だが、そのとき私の印象にもっとも強くのこったのは、博士の目である。それは、茶色がかった明るく澄んだ色だったが、その奥にやさしく茫漠としたひろがりを感じさせて、すべての人びとをその底に引きずりこまずにはおかぬような、奇妙な深いものをたたえた目なのである。

 ロレンス博士は、当時六十二歳、あたたかな大きな掌をもった老人で、遠来の私をこころよく迎えてくれた。学会で知り合った米国人の教授が通知してくれたらしく、博士は一人で研究所の門によりかかって私を待っていてくれたのである。
 一見、田舎の村長さんみたいな、銀色の山羊鬚の生えた朴訥な風貌だが、隆い鼻、ひろい額は、さすがに世界的な大学者の品位をそなえていた。握手を交しながら、私はまずその微笑が、ひどくやさしい、親しみ深いものであるのに気づいた。
 研究所の門を入って、私は呆れて立ち止った。マックス・プランツの名を冠したその研究所は、たしか国立のはずだったが、その規模の小ささと殺風景さは、私の想像をはるかに絶していた。……だだっぴろい曇った空の下に、小さな赤煉瓦造りの粗末な母屋が一つと、温室が一つ、物置のような小舎が三つ四つ、それぞれがひどく古めかしい外観をみせて点在して、ただ、それをとりまく疎林と畑地のある平坦な敷地だけが、ひろびろとどこまでもつづいている。それが、有名な「マックス・プランツ」の全景なのであった。
「……ここには、四季の変化しか変化がない。娯楽の設備もない」博士は、肩をならべ母屋の方へ歩きながら、私に笑いかけた。
「私は、独身のまま、ここに住んでいます。助手は三人だが、みんな結婚していて、細君もすべて動物学者なのです。だから私は六人の助手といっしょに、ここで観察と研究だけの毎日を生きているわけです。……近ごろの人、ことにアメリカの若い学者たちは、それを聞くとおどろきます。それでは、毎日が単調にすぎはしないか? 人なみの愉しみも味わわずに、どうして休息をとっているのか。あなたには、アイクもヤンキースもないのか?」
 博士は肩をすくめた。
「……しかし、私は鳥や魚のよろこぶものをよろこんでいれば、それで満足です。かれらを飼い、世話をやき、観察しているだけで私は充分だし、せいいっぱいです。そして、それが私のただ一つの人間としてのよろこびなのです。……」
「立派なことです。私は先生を尊敬します」
 と私は答えた。博士は手をひろげた。
「いや、そうじゃ…

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