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非情な男
ひじょうなおとこ
作品ID59976
著者山川 方夫
文字遣い新字新仮名
底本 「親しい友人たち 山川方夫ミステリ傑作選」 創元推理文庫、東京創元社
2015(平成27)年9月30日
初出「ヒッチコック・マガジン 第四巻第一一号」宝石社、1962(昭和37)年10月1日
入力者toko
校正者かな とよみ
公開 / 更新2021-05-23 / 2021-04-27
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私は顔をあげた。やはり彼女だった。
 窓ごしに彼女の眼が、哀願するように私をみつめている。
 開けてくれというのだ。
 黒い窓に、彼女は音をたてる。しだいに強く、執拗に、その音がつづいている。
 彼女は身もだえをし、全身で私に合図している。
 ……だが、私には彼女を部屋に入れてやる気は毛頭ない。だんじてない。そんなことをしたら、かえって面倒なことになってしまうだけだ。
 この深夜、ここまで単身でやってくるというのは、彼女にしたらたしかにたいへんな決意だっただろう。それはわかる。恐怖も躊躇もかなぐり捨て、彼女はむきだしの本能そのものに化し、ただ闇雲にそれに忠実になることに自分を賭け、夢中でここまでたどりついたのに違いないのだ。いずれにせよ、よっぽどのことだったとはわかる。……でも、それはいわば彼女の勝手、彼女のエゴイズムだ。私の知ったことではない。
 私は目をつぶった。私には、彼女を徹底的に拒絶しぬくほかはないのだ。
 明日、私はこの窓の下、硬いコンクリートの上に、冷たくなった彼女の死骸をみつけるだろう。
 もはや動かないその彼女に、勤勉な真黒い昆虫たちが蝟集している。……かわいそうに、と私は口の中でいった。が、それも止むをえないことだ。彼女の美しさに驚嘆したのは、すでに遠い過去のことだ。私にとり、彼女はもう、ただうるさいだけの存在にすぎない。私には、彼女を見ごろしにすることしかできない。
 非情といわれ、冷血とののしられてもいいのだ。仕方がない。私には私の世界がある。私は、それを彼女なんかにかきみだされたくはないのだ。
 ……彼女は知らないのだ。孤独な夜をのがれ、闇の寂寥から脱れようと、彼女が心おどらせてやっとたどりついたこの窓こそ、じつはもう一つのけっして終ることのない彼女の夜、永遠の彼女の闇につづく扉なのだ。――そこに、この私がいるかぎりは。
 いい加減に、彼女はそれに気づくべきだ。彼女は、相手の選択をあやまった、というべきだろう。

 ――突然、彼は頬を打たれた。
 びっくりして、彼は机から振りかえった。バス・タオルを胸に巻きつけた女が、唇をわななかせて彼を睨んでいる。
「いい気なひと! 呆れかえるわ」
 湯上りの肌からぽたぽたと光の玉を滴らせて、だが、女は蒼白な顔をしていた。
「なによ、色男ぶっちゃってさ」女はせいいっぱい甲高い声でわめいた。「今夜だってさ、あんたが一人きりでさびしいだろうと思ったから、わざわざお店の帰りに寄ってみてやったんじゃないのさ。なにさ、それをまるで私のこと、おしかけてきたイロ狂いみたいに書いてさ。……あんた、なんかサッカクしてんじゃない?」
 女は目を吊りあげ、あざけるような顔で無理に笑った。化粧を落した顔、眉のない顔のなかで、ぴくぴくと瞼が小刻みに動いている。老けたな、とぼんやりと彼は思った。
「なにポカンとしてんの? …

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