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書翰
しょかん
作品ID60004
副題050 大正十二、三年(推定) 横光君子宛
050 たいしょうじゅうに、さんねん(すいてい) よこみつきみこあて
著者横光 利一
文字遣い旧字旧仮名
底本 「定本 横光利一全集 第十六卷」 河出書房新社
1987(昭和62)年12月20日
入力者橘美花
校正者きりんの手紙
公開 / 更新2020-06-24 / 2020-05-31
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

50 大正十二、三年(推定) 横光君子宛

くれぐれも云つて來たことだが、どうか、僕に滿足してもらひたい。滿足出來ないのは分つてゐる。しかし、人間と云ふものは、どんな境遇へいつても、どんな人間に逢つても必ず、それ相當な不滿があるに定つてゐるのだから。あなたが溜息をつくときの心理が分ると、僕にも、猛然と反抗心が起つて、あなたのそのときの心理のやうな氣持ちが湧き上つて來る。俺に滿足してくれないのだ。さう思ふと、愛したくても愛情が出ない、侮辱されたやうな氣がするのだ。
僕はあなたを妻にしてありがたいと思つてゐるのだ。どんな顏をしてゐるときでも、さう思つてゐるのである。それも知らないで、不愉快な溜息されるやうな氣持ちになられては、生活して行く氣が起らない。僕があなたでなければいけないのだと思つて、あなたを妻にすることが出來、あなたが僕を愛してくれて、さうして僕の妻になつてくれたのなら、もうこれ以上僕にとつてはありがたいことはないのである。誰でもいづれ不滿はあるにちがひないのだ。それを忍耐してくれて、初めてありがたいのである。愛情が、腹のままに湧き出ることが出來るのである。こんなことはもう書きたくはない。やめよう。とにかく、お願ひだから、溜息なんかよして貰ひたいものである。
それから、此の間書くと云つたことを一寸書く、長く書かねば分るまいけれど、今はひまがない。笛を山の中で吹いたと云ふこと、それは、學校で、あるとき、何とか大佐が來て、武勇談を話した。その話には、ある男、それは多分その大佐だつたと思ふが、あまり臆病なので、それを癒すため、毎日自分の最も恐ろしいと思ふことをしようと決心し、山へ夜になると、一人行つて笛を吹いたと云ふのである。さうしたら癒つて今のやうに出世したと云ふのである。講演を聽いた冬休みに親の傍へ歸つたとき、一週間ほど、それを眞似したのである。笛を吹くと云ふことは、その頃學生の間に流行したのである。あの女の子はその頃、僕の所へ勉強しに來てゐたので、それで竹の紙をくれたのである。いつも竹の紙があればいい/\と僕が云つてゐたからである。好きとか嫌ひとか云へば、それは好きであつた。しかし、そんな種類のものなら、あなたにだつてあるだらう。自分の心に訊いてみるがよい。それから、いろいろのその他のことを君は云ふが、そんなことは、君が想像するから恐いのである。分らないことを想像すればどんなにでも出來るのだ。丁度、僕が驛のことを思ふやうに。驛のことをいくら君が辯解したつて、僕に驛のことが何も分らない以上、いくらでもまだ想像出來るのである。好きな女、と云ふよりも好意を持つてゐた女、さう云ふ程度なら、自分に親切にしてくれたもので二人ほど覺えてゐる。しかし、それとて、僕が好きではなかつたのだ。愛するなんて、そんなに深い程度になんか行けるものか。しかし、そんな好きさなら君にだ…

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