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![]() かさんかマンガンすいのゆめ |
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作品ID | 60015 |
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著者 | 谷崎 潤一郎 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「潤一郎ラビリンスⅪ――銀幕の彼方」 中公文庫、中央公論新社 1999(平成11)年3月18日 |
初出 | 「中央公論 七十周年記念十一月特大号(第七十年第十一号)」1955(昭和30)年11月1日 |
入力者 | 砂場清隆 |
校正者 | 岡村和彦 |
公開 / 更新 | 2025-07-24 / 2025-07-23 |
長さの目安 | 約 25 ページ(500字/頁で計算) |
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八月八日朝いでゆにて上京。予、家人、珠子さん、フジの四人なり。七月中は近年稀なる炎暑つゞきのところ本月四日夜おそく久し振に降雨を見、華氏にて九度程低下大いに凌ぎよくなったので、もう大丈夫と思ったのに今朝は又暑さブリ返したり。昨夜既にいでゆの切符を買って置いたので暑熱を冒し出かける。十時廿七分新橋下車直ちに虎の門長谷川に至り一先ず休憩。予は過去二三年来夏の盛りにはなるべく東京へ出ないようにしていたのが、今年になってから高血壓漸次快方に向い先月も一度上京、今度で二度目なり。昔の夏の東京は大阪京都に比べて多少涼しい筈であったが、今日はそうでもなし。新橋より電車通りを虎の門に赴く間何回となく自動車が停止する毎に車内の熱気堪え難し。小憩の後家人と珠子さんとフジとは買い物旁々銀座ケテルにて晝の食事をしたゝめるとて外出、一時半には戻るとの約束なり。予は丸の内日活に「青い大陸」の後半を見て宿に帰りトーストパンを一片オレンジジュースを一罎飲んで日課の晝寝に入る。しかし茹だるような熱気に加え此の旅館は目下増築中のため工事の音響喧しきこと限りなし。此の旅館と道路を一つ隔てた向う側にも数階のビルディング建築中なり。コンクリートを流し込む音鉄筋を打ち込む音しきりなしに耳を聾す。共済会館と元満鉄ビルとが近き故にや前を通る自動車オートバイ等の地響きと騒音も相当なものなり。已むを得ず用心のために持参した久しく用いたことのなかった睡眠剤を少量服す。三四十分トロトロとする。
今度の上京の主たる目的は、悦子の結婚用の衣裳や箪笥等を京都の家と熱海の家と東京の親戚とにバラバラに保管して置いたのを、全部取り纒めてKR会社の京橋倉庫に委託することになり、他の家財道具類もそれと一緒に少しは運び込んだので、明朝整理のため該倉庫に赴くのであって、今日一日はさしたる用事もない。家人と珠子さんはかねてよりストリップショウと云うものを見せてほしいと云っており、本日午後予を促して日劇小劇場ミュウジックホールへ行くことにきめている様子なり。これは去年あたりから、女だけでは這入りにくいから一度連れて行けと頻りに促していたのだが、此の春河原町の京劇で「裸の女神」(原名 Ah! Les Belles Bacchantes!)と云うパリで評判のバレスクの映畫を見てから、急に日本のミュウジックホールの実演が見たくなったものと察せられる。予は女の観客は稀にパンパンが外人同伴で来ている程度で、夫人令嬢はめったに見かけたことがないからまあ止した方が宜しからん、たって行きたいなら誰か他の人と行くがよし、一家の主人が妻や妻の妹を案内することは餘りよい趣味ではないと思うと云って、今日まで自分一人では行くけれども家族との同行は御免蒙っていた次第。然るに先月北白川の美津子(珠子嫁)が今年ばかりは京都の炎熱に閉口して美袁利同伴伊豆山へ避暑に来、或…