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パスカルの言葉
パスカルのことば
作品ID60019
著者パスカル ブレーズ
翻訳者島崎 藤村
文字遣い旧字旧仮名
底本 「飯倉だより」 岩波文庫、岩波書店
1943(昭和18)年5月5日
入力者かな とよみ
校正者フクポー
公開 / 更新2022-06-19 / 2022-05-27
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

(ある人のために、パスカルの言葉を抄録する)

 些細なことが私達を慰める。何故といふに些細なことが私達を悲ませるから。

 ソロモンとヨブとは、奈何なる人よりも人間の悲みを知つて居たし、又、語りもした。前者は人として最も幸福であつた。後者は最も不幸であつた。前者は快樂の空しいことを、後者は不幸の實際を、いづれも經驗によつて知つて居た。

 私達は毎日食ひ且つ眠ることに疲れない。何故なら、毎日饑と眠氣とが新しくされるから。精神的な事物に對してもそれと同じやうに、饑がなかつたら疲れてしまふ。

 智慧は私達を子供にかへす。

 意義はそれをあらはす言葉に隨つて變ずる。意義は言葉に威嚴を添へるのでなくて、言葉から威嚴が添へられるのだ。

 道理は主人公よりもつと命令的だ。といふのは、主人公に服從しなければ私達は不幸なだけだが、道理に服從しなかつたら私達は馬鹿だ。

 皆が同じやうに動いたら、何も動かないやうに見える――あたかもボートの中のやうに。皆が混亂の状態に傾いたら、何も混亂しないやうに見える。靜かに立つて居るものがあつて、そこからはじめて他の位置が分明になつて來る。

 時は悲みと爭ひとを癒す。それは私達が變化するからだ。私達は最早同じ人ではなくなるのだ。傷けたものも、傷けられたものも、最早以前の同じ人々ではなくなるのだ。

 隱されたる良い行ひは最も尊い。歴史の中にでも何かさういふものを見つけた時は、ひどく嬉しい。でもさういふことが知れて居る以上は、既に全く隱されたではない。假令それが出來るだけ隱されたにしても、顯れたといふだけで一切をぶちこはしてしまふ。何故といふに、それらの行ひの最も美はしいところは、その行ひを隱さうと欲するところにあるからだ。

 多くの煩ひから私達を慰めて呉れる唯一のものは氣晴しといふことだ。それでありながら氣晴しほど煩はしいものも無い。

 似た顏が二つある。一つ/\を見れば可笑しくも何でもない。もしそれを並べて見ると、似て居るといふので可笑しくなる。

 好奇心は虚榮に過ぎない。私達は何かの話が出來るといふだけのことで、ある一つの事を知らうと思ふことが、よく有る。

 智識には、一致する兩極端がある。第一はすべての人の生れながらなる純自然の無智だ。第二はすべての人智をあさりつくした後で、結局出發點と同じ無智なることを見出した多くの高き精神が到達した境だ。しかしこの第二のものは自己を知る無智だ、學べる無智だ。

 私達は必要な場合には奈何に疑ふべきかを知らねばならない。又、必要な場合には奈何に確むべきか、奈何に從ふべきかを知らねば成らない。

 世には解釋といふものをよく知らないで、何でも解釋の出來るやうに肯定する人がある。從ふべき場合をよく知らないで何でも疑ふ人がある。判斷力を用ふべき場合をよく知らないで何にでも從ふ人がある。…

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